禁煙セラピーの著者によるダイエット本。禁煙セラピーのメンタルコントロール・メソッドはダイエットやその他の依存症にも応用できるのでは無いかと思ったのですが、すでに著者が幾つかのバリエーションで出版していた様です。(肥満も過食依存と捉える事ができます)
非常によく出来たダイエット本だと思います。やはりアレン・カーはエンターテナーとして才能が高いのだと思います。ロバート・キヨサキなどがエコノミスト臭くならないのに似ています。
禁煙セラピーを読んだ時点で、私自身の減量経験に照らして、他人に教える際に役立つ汎化のための方法を幾つか考えていたのですが、それらをほぼ包含して、より体系立ったアレン・カーらしい方法論が既に完成されていました。
前半に若干、大仰な台詞回しと、やや疑問な医学的裏づけに目をつぶれば、後半読み終わる頃にはなぜか清々しい気分ですぐに実践したくなります。
ここ最近読書ペースをちょっと上げて何冊か読みましたが、特に面白かった本は、読後にとても前向き、というか前のめりにしてくれます。
禁煙セラピーもそうでしたが、タイトルにやや語弊があります。禁煙セラピーは「禁煙のための」書籍ではありません。「○○セラピー」といった場合、普通「○○」を用いた心理療法という意味です。一般的な「禁煙」(にまつわる誤解など)を用いて、喫煙を止める為の本でした。
禁煙=喫煙を我慢する、なので、我慢するのと止める(我慢する必要が無い状態に卒業する)のでは大きく違います。この辺は翻訳の都合かもしれません。原著の直訳では若干ニュアンスが異なります。
同じくダイエットセラピーも、世間一般のダイエット(食事制限)について書かれた本ではありません。
そもそも、日本では「ダイエット」がバズワード化してかなり広義で利用されます。
- 減量(体重を減らす)
- 痩身(ラインを細くする)
- ダイエット(食餌療法)
の三つをひっくるめて「ダイエット」と呼んでしまいます。
さらにダイエット(食餌療法)の場合も、味覚の嗜好や食事量を適正にする「改善」と、食べたいのに我慢する「制限」をひっくるめています。なので、少なくとも日本語の「ダイエット」には四つの意味が含まれてしまっています。
ダイエットセラピーで著者が主に目的としていたのは減量です。この本の内容にしたがっても、モデル体系にはなりませんし、生活が健康的になるわけではありません。
と、著者は言い切っていますが、減量を狙っていながら結果的に、実に効果的に食餌療法(改善)が出来る様になっています。むしろ改善された事によって減量が成されます。あくまで「制限(=我慢)」ではないので、無理をする必要がない点で禁煙セラピーと同じです。
著者は「好きな物を好きなだけ食べても減量できる」と言いますが、物は言い様で、身体に良いものが「好きな物」になってしまえば、結果的に好きな物を食べていることになります。同様に適量が「好きな量」になってしまえば、適量の食事が好きなだけ食べた事になります。
その過程で、何が本当に「好き」なのか、何が本当に「身体に良い」のかは大分セオリーとは違った価値観を提示されるので、読む気で読まないと(受け入れるつもりでないと)かなり面食らう事でしょう。
私個人の2度の減量経験はどちらも同じ方法で、20代前半に半年で22kg(89→67)、20代後半に1年で18kg(83→65)減らしましたが、これはダイエットセラピーで禁止されている事項も幾つか含まれていました。それでも減量できたのは、たまたま方法自体が個人的にモチベーションになったからです。
1回目の後の増量は厳密には「リバウンド」ではないのですが、なにを持って「リバウンド」と呼ぶかはここでは省きます。問題はリバウンドであろうと、なかろうと私の方法では減量後に再増量する可能性が残っている事でした。
私は実際に減量中でも毎日からあげやポテトチップやカップラーメンを食べていましたので、アレン・カーと同じく「食べたいものを食べていても」減量は可能だと断言します(運動も一切していません)。しかし私の場合、厳密なカロリー計算によって、総量は制限していました。制限が苦痛にならない方法だったので、自分では我慢している自覚はなかったのですが、ごく個人的な価値観によるので万人には適用できません。
その点、この本では人間のより根源的な嗜好に訴えかけるので、かなりの汎用性が期待できます。期待しつつ、最終的な評価は実践後に改めてしてみたいところです。
やはり敬体(です、ます)の方が書き易い。常体(だ、である)は語尾に迷う事が多い。