2010-10-09

ハイローライン+MA

元ネタ

274 :Trader@Live!:2010/10/07(木) 13:54:40 ID:L0unZErp
    移動平均線とハイローラインのクロスアラートを作っていただきたいのですが
    どなたかおねがいしますm(__)m

275 :Trader@Live!:2010/10/07(木) 13:56:13 ID:tOUEomuX
    ハイローラインってなに?

276 :Trader@Live!:2010/10/07(木) 14:47:20 ID:L0unZErp
    過去20日間の最高値とか最安値とか
    タートルズがつかってたあれです
    

作ったインディケーター

前者がハイローラインとMAの線を引くインディケーターです。後者はクロスした時のシグナルとアラートを出します。土曜で値段が動いていないので、テストしてませんが、多分現在動いているバーがクロスした時のみアラートが出ると思います。

気になったので作ってみましたが、出来上がったチャートを見てみたら、どこかで見覚えのあるチャートでした。

MAとハイローラインの期間が近いとまず接触しません。MAの期間を相当長くすると、ぶつかります。

どういった目的のシグナルなのか解りませんが、ぱっと見た感じ、短期の急激な値動きの終わりを示すシグナルになるんでしょうか。ポジションのイグジット用に使えるかもしれません。

2010-10-08

パーフェクトオーダーで売買するEA

参考

見た目がキレイでいかにも意味ありげです。

作ったインディケーター

必要なインディケーター

作ったEA

"FiveMAs_CI"はメインウィンドウに表示されている、五本のEMAです。"PerfectOrder_CI"は一番下のウィンドウに表示されている赤いラインです。

五本のEMAが短期から長期の順に並んだ時に+1、adxが20を超えた時に+1、両方同時なら+2になります。

"PerfectOrder_EA"では、PerfectOrder_CIが2になったら買いシグナル、2以下になったら売りシグナル、同時にポジションは一つまで。というルールで売買します。

いくつかの時間足、通貨ペアでバックテストした結果は以下の通りです。

USD/JPY M5

USD/JPY H1

USD/JPY D1

GBP/JPY M5

GBP/JPY H1

GBP/JPY D1

AUD/JPY M5

AUD/JPY H1

AUD/JPY D1

もうちょっと惨憺たる結果になるかと思ったんですが、わりとプラスになる組み合わせもありました。AUDだけヒストリカルデータが長期間ダウンロードしてあるので、トレード回数が多くなっています。

短期のトレンドがに応じて、期間限定稼働なら悪くも無い様に見えますが。

2010-10-07

DdVAltbf_EA

以前つくったカスタムインディケーターのシグナルを元に売買するエキスパートアドバイザーです。

下降シグナルしか出ないので、

  • シグナルが出るとショートポジションを作成。
  • TakeProfit(利確)はBid+最小マージン
  • StopLoss(損切)はAsk+最小マージン*n

として、nをパラメータにしています。

ポジションがある時に次のシグナルが出ても新しいポジションは作成しません。同時に1ポジションまでです。n=1(TP幅=SL幅)で実行した結果が以下の画像です。

適当なEAの割に残高が0にならないのは、割と出来がいいのかと思いましたが、エントリーが少ないだけかもしれません。

ついで、nを1から50の間で最適化した結果が以下の画像です。19より上に行くと結果が変わりません。

なので、実際にn=20(TP幅*20=SL幅)で実行した結果が以下の画像です。

勝率100%です。儲かってる風に見えるEAにしても、うさん臭すぎました。使用したデモサーバでは直近6週間ほどの間に最小マージン(6pips)*20倍を超える様な一方的な値上がり(ドル高円安)がなかったんですね。

もっと長期間でバックテストすればその内、1ポジションの含み損によって強制ロスカットされるかも知れませんが、損切りなしのEAを口座残高によってカットさせるというのもありかもしれません。

総投資資金と一月に使える金額を見定めた上で、当月に一定量の損が出たらその月は取引終了。当月にいくらプラスになろうと月末に利益を全額払い戻し。毎月月初に一定額で取引開始。というルールはスキャル派のデイトレードでも聞く手法です。

好調な時にとれるだけとって、不調の時はやらない、というのは経済学的にも理にかなっていたと思います。

2010-09-30

値動きの分布

平均と標準偏差

標準偏差は±2σの範囲内に95%程度が収まるとの事。実際標準偏差の範囲を示すチャートにボリンジャーバンドがありますが、肌間隔としては、±2σ線を越えるのは1/20以上ある様に感じます。

というわけで実際に出してみると

USD/JPY,M1 AUD/JPY,D1
終値が±2σに収まる割合 89.52% 88.28%
高値が+2σを収まる割合 88.04% 85.28%
安値が-2σを収まる割合 82.66% 87.95%

いずれも95%は超えませんね。ボリンジャーバンドは終値ベースで計算されるので、終値で見れば良いと思うのですが、確かに終値が一番近いと言えば近くなっています。

USD/JPYの1分足は標本データが多すぎてGoogle SpreadSheetsで計算できないと言われたので、一度標本数を約1万から約1千に減らしたのですが、大差なし。

1千 1万
終値 89.03 89.52
高値 88.24 88.04
安値 82.35 82.66

1分足だと足1万本で1週間程度なので今週のトレンドがたまたまそうなっているだけとも言えますが、通貨によって動きに差があるという事でしょうか。

短い時間足の標準偏差準拠率を調べれば、直近のボラリティの参考ぐらいにはなるかもしれません。

作ったスクリプト

必要なインディケーター

2010-09-29

時間帯別値動き

「朝スキャル」という単語を見かけました。そういうジャンル?というか手法で商品化されているEAも多種あるそうで。

そういえば相場では季節要因(季節、時間帯、曜日)などの要因で方向性に癖があるという話も実しやかに語られます。

試しに朝方の1時間でClose-Openの値動きがどんなものか出してみました。MT4のScriptです。

Output_Morning_SC.mq4

USD/JPY, 6時/9時(直近1年)

AUD/JPY, 6時/9時(直近10年)

正直これだけだとなんだかさっぱりですが、こんなデータ群から方向性を見いだせる人も居るんですね。

ただ、「朝スキャルもそろそろ寿命」という意見の中には、「みんながやっていると儲かるはずがない」といったものが。業者がその時間帯をねらってスプレッドを広げてくるなどといった、具体的な環境要因なら解りますが、システムトレードをしている人でも前述の様な実証されていない感想文で行動を左右する人が一定数いるもんなんですね。

2010-09-27

一日一インジケーター

なんていう企画を、余裕のある時にやってみたいです。某所で見かけた物をMetaTraderのインジケータ化してみました。

元ネタ

88 :Trader@Live![sage] 投稿日:2010-08-19 16:45:29 ID:DdVAltbf
さっきのポン円落下は確実にとれるケースだよね
5分足でMACD、スローストキャス、21MA全部が下向いた瞬間に売るだけ

作ったカスタムインジケーター

必要なカスタムインジケータ

メインチャートの下向きの赤い矢印が、このインジケータの表示です。MACDは見にくかったので白い線をHISTOGRAMからLINEに変えてますが、内容は変わっていないはずです。

確かにわりとイケテそうに見えるので、元ネタのスレタイ通り、10pipで利確するEA化もしてみたいですが、GBP/JPYだと、スプレッドが7、8pipなので、意外と幅があるかもしれません。

2010-09-21

インフレターゲットは冷房

インフレ率を「引き上げる」政策としてインフレターゲットが語られますが、あれは引き上げるのではなく、頭を抑えるもの、つまり気温上昇時における冷房なのではないかと思います

冷房(または暖房)は、設定された温度に室温を調整するものではありません。設定された温度以上(または以下)にならない様に、室温を抑制するものです。

室温が30、31、32度と上昇していく中で、設定温度を30度にすると30度を「上回った時」のみ、30度を遥かに下回る冷風を散布する事で、一時的に30度以下にさげます。そこで一時運転を停止すると、またすぐに30度を超えるので、30度を下回る冷風を散布します。これの繰り返しです。

設定が30度だからといって、30度の風を散布する訳ではありません。

もし、30度を超える夏日に、「暖房」を20度に設定して稼働したところで、暖房は室温を20度に引き下げたりはしません。暖房の役目は20度を「下回った時」に20度以上に引き上げる機能しかありません。20度を超えている場合、「なにもしない」以上の事はできません。

インフレターゲットはインフレ率が3、4、5%と上昇していく際に、ハイパーインフレが起きない様に、金利の引上げなどで金融の引き締めを行う物だと認識しています。だとするなら、インフレターゲットはインフレ率が「放っておいても上昇する」場面において、上昇を抑制する冷房的な機能しかないと考えるの妥当ではないでしょうか。

「放っておいても下降する」デフレ場面において、インフレターゲットを用いるのは、冬に冷房を用いるような物です。氷点下の厳冬期に、冷房を28度に設定しても、冷房は「なにもしない」以上の事はできません。

日銀はインフレ率の上昇が望まれる状況で、むしろ「デフレターゲット」ともとれる政策を行っている、という批判も最近見かけますが、もし今の日本が放っておいても下がる「冬」つまりデフレ期なら、暖房にあたるデフレターゲットを用いるのはむしろ真っ当な対策に思えます。

問題は金利引上げによるインフレ抑制は事実上無限に上げられるのに反して、金利低下によるデフレ抑制は0%以下にできない事ではないでしょうか。デフレターゲット、つまり暖房の性能が限定的なのが、現在の中央銀行による金融政策の限界なのではないかと思います。

2010-08-26

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎 夏海)

軽い気持ちで読み始めたら、存外重い話でした。

「マネジメント」のエッセンシャルのエッセンシャルなので、当然この本だけでは「マネジメント」のさわりだけですが、それでも色々な示唆は与えてくれます。

ただ、ストーリーの最後の展開は、ドラッカーを信望しつつも、作者なりのマネジメントの限界に対する疑問を投げかけているようにも見えます。

2010-08-05

「ストック経済を考える」(野口 悠紀雄)

時間つぶしに入った図書館で偶然見かけた本。が先日の資産課税に関する書籍でした。

正直、内容がわかり易いだけに、20年も前に既に問題提起されていたという事実と、にも関わらず20年前の懸念がほとんどそのまま実現してしまった現状が実に残念でしょうがない。

政治的な理由で実現しないのか、させる気の人がいないのか、気づいてる人が少ないのか。正直こんな残念な状況が長期間放置されているなら、無理に変えようとするより、今楽に得な方向に流れた方が良いと考えてしまってもしょうがない。

最終章のケインズの話を見ると、今問題にされている格差の話など、20年前どころか100年前から在ったという事実に目眩すらします。

2010-07-21

「いつも先送りするあなたがすぐやる人になる50 の方法」(佐々木 正悟)

行動を始め易くするための小技に関してつらつらと書かれています。タイトルに反して、「先送りしがちな人」にとくにフォーカスを当てて掘り下げてはいない様子。

普段先送りしがちな人が、どういった心理的な状態に囚われており、どうなれば解決に向かい、そのために何をする必要があり、この方法がかこういう面で効果がある、という話を順序立てて説明しているのかと思っていたため、やや期待はずれでした。

いわゆる「備え」として、ライフハック系の小ネタストックを増やす分には有効な本だと思われます。

2010-07-07

(後で調べる)資産課税とマイナス金利

消費税だの法人税だの単年度のフロー所得に対する課税が話題になっていますが、一番金持っているのは年寄りの資産家なので、ストックに対する資産課税を増やした方が、よっぽど集まると思うのですが。

裕福順位
 貧乏金持ち
若年32
老年41

応能負担が仮に是だとして、一番人数が少なくて単価の高い所からゴソっと取った方が課税業務の効率も上がりそうですし。

それ以前に、今の老年貧窮世帯の多くは若年者の責任は薄いのだから、上記テーブルの1から4に配分するのが妥当だと思いますが。

今は固定資産税と相続税ぐらいしか資産に課税されないので、金融資産にも課税したらよろしい。金融資産対する課税が可処分所得に対する二重課税だというなら、消費税も相続税も贈与税も固定資産税も同様に正当性が無い事になる。

というか、金融資産は特に課税しなくても、金利を本来どおり推移させてマイナスにすればそれでいいと思うのですが。無理にゼロで止めるから歪みが出るのでは。

特に不景気だデフレだ言われる情勢だと、使わざるを得ない状況に追い込まれることが予想できるようにすれば、ジリ貧になるより前に能動的に回避行動に移る気がしないでもない。そうすれば日本人ももう少しマジメに金融について勉強しないだろうか。

仮に総資産額に変化が無くても、完全に滞留している資産より、毎年一定額が出て一定額が入ってくる対流のある資産の方が経済全体には利があると思います。止まっているようで動いている資産。

2010-07-04

各政党の更新情報フィード一覧

殆どの政党サイトでMETAタグが記述されていないので、標準のフィードがどれかすら、そもそもあるのかすら判り辛い状況です。トップページ中ほどに小さく"RSS"のアイコンが設置されている場合が殆どです。

2010-07-02

「読むだけで絶対やせられる ダイエットセラピー」(アレン・カー、阪本章子・訳)

禁煙セラピーの著者によるダイエット本。禁煙セラピーのメンタルコントロール・メソッドはダイエットやその他の依存症にも応用できるのでは無いかと思ったのですが、すでに著者が幾つかのバリエーションで出版していた様です。(肥満も過食依存と捉える事ができます)

非常によく出来たダイエット本だと思います。やはりアレン・カーはエンターテナーとして才能が高いのだと思います。ロバート・キヨサキなどがエコノミスト臭くならないのに似ています。

禁煙セラピーを読んだ時点で、私自身の減量経験に照らして、他人に教える際に役立つ汎化のための方法を幾つか考えていたのですが、それらをほぼ包含して、より体系立ったアレン・カーらしい方法論が既に完成されていました。

前半に若干、大仰な台詞回しと、やや疑問な医学的裏づけに目をつぶれば、後半読み終わる頃にはなぜか清々しい気分ですぐに実践したくなります。

ここ最近読書ペースをちょっと上げて何冊か読みましたが、特に面白かった本は、読後にとても前向き、というか前のめりにしてくれます。

禁煙セラピーもそうでしたが、タイトルにやや語弊があります。禁煙セラピーは「禁煙のための」書籍ではありません。「○○セラピー」といった場合、普通「○○」を用いた心理療法という意味です。一般的な「禁煙」(にまつわる誤解など)を用いて、喫煙を止める為の本でした。

禁煙=喫煙を我慢する、なので、我慢するのと止める(我慢する必要が無い状態に卒業する)のでは大きく違います。この辺は翻訳の都合かもしれません。原著の直訳では若干ニュアンスが異なります。

同じくダイエットセラピーも、世間一般のダイエット(食事制限)について書かれた本ではありません。

そもそも、日本では「ダイエット」がバズワード化してかなり広義で利用されます。

  • 減量(体重を減らす)
  • 痩身(ラインを細くする)
  • ダイエット(食餌療法)

の三つをひっくるめて「ダイエット」と呼んでしまいます。

さらにダイエット(食餌療法)の場合も、味覚の嗜好や食事量を適正にする「改善」と、食べたいのに我慢する「制限」をひっくるめています。なので、少なくとも日本語の「ダイエット」には四つの意味が含まれてしまっています。

ダイエットセラピーで著者が主に目的としていたのは減量です。この本の内容にしたがっても、モデル体系にはなりませんし、生活が健康的になるわけではありません。

と、著者は言い切っていますが、減量を狙っていながら結果的に、実に効果的に食餌療法(改善)が出来る様になっています。むしろ改善された事によって減量が成されます。あくまで「制限(=我慢)」ではないので、無理をする必要がない点で禁煙セラピーと同じです。

著者は「好きな物を好きなだけ食べても減量できる」と言いますが、物は言い様で、身体に良いものが「好きな物」になってしまえば、結果的に好きな物を食べていることになります。同様に適量が「好きな量」になってしまえば、適量の食事が好きなだけ食べた事になります。

その過程で、何が本当に「好き」なのか、何が本当に「身体に良い」のかは大分セオリーとは違った価値観を提示されるので、読む気で読まないと(受け入れるつもりでないと)かなり面食らう事でしょう。

私個人の2度の減量経験はどちらも同じ方法で、20代前半に半年で22kg(89→67)、20代後半に1年で18kg(83→65)減らしましたが、これはダイエットセラピーで禁止されている事項も幾つか含まれていました。それでも減量できたのは、たまたま方法自体が個人的にモチベーションになったからです。

1回目の後の増量は厳密には「リバウンド」ではないのですが、なにを持って「リバウンド」と呼ぶかはここでは省きます。問題はリバウンドであろうと、なかろうと私の方法では減量後に再増量する可能性が残っている事でした。

私は実際に減量中でも毎日からあげやポテトチップやカップラーメンを食べていましたので、アレン・カーと同じく「食べたいものを食べていても」減量は可能だと断言します(運動も一切していません)。しかし私の場合、厳密なカロリー計算によって、総量は制限していました。制限が苦痛にならない方法だったので、自分では我慢している自覚はなかったのですが、ごく個人的な価値観によるので万人には適用できません。

その点、この本では人間のより根源的な嗜好に訴えかけるので、かなりの汎用性が期待できます。期待しつつ、最終的な評価は実践後に改めてしてみたいところです。

やはり敬体(です、ます)の方が書き易い。常体(だ、である)は語尾に迷う事が多い。

2010-06-30

ネットの選挙活動は何をしてはいけないのか

ネットで選挙に関する情報を色々調べていると、当然ネットでの選挙活動が禁止されている事はすぐに目に付く。なので、選挙期間中は関係者(主に立候補者と関連団体の)あらゆる情報の更新が止まるものと思っていたがそうでもないらしい。

ソースは失念してしまったけど、今回もしくは直近のいずれかの選挙期間において、政党のサイトが更新された事に対して、選挙管理委員会が「『政策の一覧(or列挙)なので問題ない』との見解をしめした」、という旨の記述を見た。

政策の一覧を列挙する事以外にどんな選挙活動をするのか。根本的な理解が間違っていたらしく、正直軽いパニックになった。

公職選挙法とはほんとよくわからん法律だ :投資十八番 

こちらを見てようやく解決した。要するに禁止されているのは「私に投票して下さい」とか「○○さんに投票すべきではない」とか「○○党はおかしい」などの支持や不支持を表明する文書図画の配布が禁止されるらしい。

バカじゃなかろうかと思う。小学校のクラス代表選挙じゃあるまいし、立候補者や関連団体が、わざわざ選挙期間中に時間を割いてまでオンデマンドのネット上でイメージアップ活動をしてどうするのか。

有権者として知りたいのは、立候補者の人となりではなく、政策や過去の政策に対する実行力などだ。成人した社会人が国政を担う国会議員を「怖そう」とか「物言いが憎たらしい」とか「生理的に好きになれない」とかで決めると思われているのだろうか。

政策・提案の一覧や説明が更新していいのなら、そもそもネットの選挙活動は現時点で「解禁している」と言って差し支えない。あとはどれだけ視認性が高いか、リーチしやすいかといった、サービスが提供されるかどうかの問題だ。

現状では、自分の選挙区の立候補者の一覧、比例区の政党一覧すらそろえるのが面倒くさい。実際にはそこから各人の政策ポリシー、各党の公約、個人としての方針と所属政党の方針との一致度、過去の公約の達成率/未達成率/取り下げ率/変更率などを調べないと、まともな選択に基づいた投票は出来ない。

ネットですら面倒くさいこれらの下調べはネットが無い時代には相当難しかったと思う。まさか全立候補者の街頭演説を見学して録画するわけにも行かない。ましてフルタイムのサラリーマンなら投票すべき自宅の選挙区外で日中拘束されているのが普通で、立候補者の演説など1度も聞けずに選挙を迎えても不思議ではない。

せっかくネットのある時代なのだから、もう少し気の利いたサービスがあってもいい。

立候補者・政党全ての提言されている公約を一覧でき、「支持/不支持」「取り下げ/変更/達成/未達成」など閲覧者の各人の点数を入力して全政党を横断的にチェックする機能なども欲しい。欲しいのは各党が公示した公約の一覧とそれを各人が採点しやすくするフォームなので、「支持/不支持」を頒布するわけではない。統計とって選挙前に公表などがされなければ人気投票にもならない。

前もって予測するこは禁止されているけど、事後公開なら良さそうなので、サービス利用者層の総意が実際の選挙結果とどれだけ一致していたかなどは比較できても良いかもしれない。

そもそも「参院選 立候補者」で検索したら、公式(go.jpドメイン)のサイトで立候補者と比例区の政党一覧が検索結果一位にあがってくるぐらいの準備はして欲しいものだ。全国に木製のボードを立てて画鋲でポスター貼り付けるよりよっぽど安上だと思うが。

2010-06-29

「二重洗脳 - 依存症の謎を解く」(磯村 毅 著)

禁煙セラピー 」の補完を目的に読んでみた一冊。医者による依存症の(特にメンタル面での)メカニズムと解決に向けたアプローチ。

医学的なアプローチと言う面では、「禁煙セラピー」よりも正確で掘り下げた説明をしているけど、その分堅苦しい感じはある。読み物としてのテンポや魅せ方という点では「禁煙セラピー」の方が面白い。内容的に言っている事は同じ。

読み終わるまでタイトルを「二重依存」だと思いこんでいた。私の期待した「二重依存」とは依存性薬物による肉体的依存と、社会的洗脳による精神的依存。「禁煙セラピー」を読んだ段階での喫煙の依存原因がそこにある、という理解だった。

本書での「二重」とは依存性薬物によってもたらされる、「飴」(恍惚感など)と「鞭」(禁断症状)の二つの内、依存性薬物を前者とのみ関連づけることで、調教的洗脳が行われるという趣旨。結果的に精神面での依存度が依存症の解決のカギになる、と言う点では「禁煙セラピー」と同じだが、精神依存の種類にやや違いがある。

「禁煙セラピー」では、社会的な「成人男性たるものタバコは吸うべき」「吸うのがカッコイイ」といった洗脳によって、喫煙者の中で「吸う理由」を肯定する礎ができているとしてた。

対して本書では、「飴と鞭」によって、吸い始めた後に喫煙そのものを、喫煙者自身がより肯定していく心理的変化を説明している。

薬物に依存していない正常な場合、落ち着いたリラックス状態と、イライラしたストレス状態を行ったり来たりする。なんらかの連続的な作業(仕事など)によって負荷をかけると精神はストレスを受ける。それがピークに達すると(下の点線)我慢できなくなり、休息が必要と判断する。休息を取るとストレスが緩和され、リラックスに向かう。

これが薬物に依存している場合、図の様に変化する。特徴としては以下の二点に集約される。

  • 回復が早い
  • 耐性が付く

薬物によるストレスの緩和は自然回復に比べ早い(a-b間)。特にタバコの場合、摂取方法が呼気による吸入なので他の麻薬より圧倒的に脳に近く、聞き始めも早い。そのため、恍惚感やリラックスなどの「飴」が薬物の摂取と時間的に近いことで、「飴の原因=薬物」という図式が本人の中で生まれる。

しかし、回復が早い反面、薬物による回復は耐性がつく(脳神経が劣化する)。そのため、リラックスのピーク(b点)が自然回復時よりも低くなる。たとえストレスの受け方が健常者と同じであっても、ストレスのピーク(a点上の点線)に到達するのが早くなる。結果、回復が必要と判断されるまでの活動時間が短くなる。

しかし、本人の活動時間が短くなろうと、業務上の休憩間隔を短くしてもらえるわけではないので、ストレスを感じたまま作業を続けなければならなくなる。このストレスのピークを超えた状態が禁断症状と呼ばれる「鞭」になる。

本来このような鞭に苛まれるのは、薬物が原因だが、薬物の摂取から時間が経っているため、直感的には関連付けられない。

鞭による更なるストレスを受け続けた直後に薬物を再度摂取すると、「急速に」回復する。そのため、酷い状態から急速に救われた事でさらに「薬物=飴」の図式がより強く肯定される。

このように、人間の時間的な感覚の盲点を突き、飴と鞭の原因を直感的に把握できないどころか誤解させる事で、苦悩の原因となっているはずの薬物が自分の救世主であると勘違いしていく。さらにその勘違いをエンドレスに増強していくのは、苦情を申し立てるはずの被害者本人。という非常に厄介なエコ(循環)システムによって薬物が延々と消費されていく。

この構図の厄介な点は、薬物を肯定しているのが被害者の感覚によるので、自身の主観的な判断によって「計画的」に活動している、と思い込んでしまう点にある。そのため、本来救済者である第3者による論理的な忠告が、自分を落としいれようとする悪魔の囁きに聞こえてくる。

そのため、解決するには本人の「気づき」による内証的な解決が必要と説く。後半は「気づき」と「ポジティブシンキング」の違いや、錯視を用いた「気づき」の解説などに当てられている。

個人的に知りたかったのは、本書で「気づき」と称しているアプローチの、適性によらない体系的な技術だった。本書はその答えを提示してくれなかったという点ではやや期待外れだったが、参考になる点や着想の種になる収穫はあった。

2010-06-20

「読むだけで絶対やめられる 禁煙セラピー」(アレン・カー、阪本章子・訳

喫煙者は二種類の依存症に罹っている。

  • ニコチン依存
  • 喫煙依存

の二つだ。

従来「禁煙」をする場合、主に前者が重要視されていた。つまり、肉体的に薬物依存になっているのだから、一定期間ニコチンの摂取を我慢できればやめられるという理屈だ。

しかし、ニコチンはどの麻薬より依存性が強いが、どの麻薬より禁断症状が弱い。三週間もすれば99%は体内から排出される。ならばなぜ人は禁煙に失敗するのか、なぜ一度禁煙に成功してもまた吸い始めてしまう人が居るのか。

それは精神的に依存しているからだ。という点に気付いた著者がいかにして精神的にタバコから自立するかに本書の八割が割かれている。

些細だけど重要な違いは次の質問で区別できる
「なぜタバコを吸いたいのか」
「なぜタバコを吸わなければならないのか」

恐らく口頭の会話で後者の質問をするとお決まりの回答が来ると思う。「吸いたいから吸っているんだ」「好きで吸ってるんだ」。聞きたいのはそこではなく、なぜ吸わなければ「ならない」か、だ。

つまり喫煙者は社会的な「洗脳」によって、無意識に「吸わなければならない」と思わされている。が、その事に気付いていない。というのが著者の論。

「吸わなければならない」と考えるのは、喫煙者自信の思考なので、これを我慢する、つまり「禁煙」しようとすることは、自分自身と力比べをするようなものだ。

タバコの煙は、本来カラダに悪い事が直感的にも、最近では医学的にも証明されつつある世の中で、敢えて吸い込み体に入れようとするのだから、相当強い精神力がなければできる事ではない。つまり喫煙者は精神力が強いからこそ喫煙者になれる。その強い自身の精神力による「喫煙」思考をそのままに、反対向きに「禁煙」思考をしても疲れるだけで、何も解決しない。だからまず「喫煙」思考を止めなければいけない。

つまり社会的な「喫煙しなければならない」という洗脳をとけば「禁煙」しようとする反対向きの力など要らなくなる。「禁煙」とは「吸いたいが我慢する」という思考だが、そもそも「吸いたい」と思わなければ我慢する必要すらなくなる。最近の日本ではこれを「卒煙」などと呼び明確に区別する向きもある。

私は以前から「喫煙者」ではなく「ニコチン依存患者」と呼べばいいと思っていたが、違った。喫煙者はニコチン依存ではなく「喫煙」依存だった。「喫煙」に精神的に依存しており、「吸わなければいけない」と(潜在的にせよ)思わされていたのだ。

これはタバコ以外にも色々と応用できる考え方かもしれない。薬物依存の場合、肉体的な禁断症状も伴うだろうけど、それ以外の「しなくて良いことをなぜかしてしまいドツボにはまる系」の依存は皆同じ考えた方で解決できると思う。

例えば肥満は、食べなくてもいい程の大量の食事によって、必要以上に体重が増加している。食べ物をとりあげても、断食をしても、時間が経てばまた太る。つまり「過食」依存だ。

この場合、禁煙セラピーに習い
「なぜ食べたいのか」を自問するのでなはなく、
「なぜ食べなければならないのか」を自問する。
もちろん回答などない。

生命維持に必要十分な食事をとればそれ以上は必要ないはずだ。なので何かしらの原因により「食べなければいけない」と思い込んでいるのなら、その原因に当って洗脳を解く必要がある。

我慢はいずれ破綻するので、食べたいが我慢する「禁過食」ではなく、食べたいと思わない「卒過食」をする必要がある。

減量に必要なカロリー計算など小学校を卒業していれば十分に可能なのだから、根源的に解決するには、無いはずの空虚な根拠を信じる洗脳を如何にして解くかが重要になる。

元々吸わないどころか「嫌煙」の自分がこの本を手に取ったのは、最初から(当然)禁煙が目的では無かった。あの頑固の代名詞とも思える喫煙者をどうやって禁煙に導いているのか。まして喫煙のマイナス面を並べ立てるわけでもない、どんな方法で「洗脳」しているのかに興味があった。しかし実際には「洗脳」を解くことがカギになるという予想と正反対の内容だった。この本は「禁煙」というテーマ以上の、メンタルコントロールに関する大きな示唆を与えてくれた。

2010-06-18

競争と公平感―市場経済の本当のメリット

数式の羅列された経済学の本ではなく、雑学書に近いイメージ。凄い読みやすい。随所に「誰かに教えたくなる雑学」的ネタがちりばめられていて飽きない。

比較的最近の本なので現在進行系の現政権の話も出てくる。2010年7月の参院選に向けて各政党の公約をチェックする際に役に立つ即効性もあると思う。

この本に出てくる様々「不公平感」の原因や、健全な競争の為に何が必要か、何に問題があるので何処をどう直すべきかという話は、公約をチェックする上で「なんとなく嫌い」「キナ臭い」といった感情論以上の根拠を持つ知識やそのきっかけを与えてくれると思う。

自分たちが救われるべき弱者だと思っている人が、実は自分たちを苦しめる要求を自らしていたりするので、言われるままに扇動されるより、一度きちんと考えて見たい。

マスゴミなどと揶揄しつつもマスコミしか情報源が無かったり、選挙カーや街頭演説などうるさいだけで役に立たないと言いつつ、それ以上の情報源無しに選挙に行ったり、選挙に行かないことがどういう結果を招くのか考えずに参政権を放棄していたり。

選挙を目前に控える今こそこの本を読むべきタイミングだと思った。

2010-06-15

「友愛」の真意

祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印|この一年の注目記事|新しい日本を創る提言誌 Voice+ ボイスプラス

p.236 参考文献一覧にて目に止まったので、読んでみた。鳩山元首相のコラム。これを読んでようやく(今更)、鳩山政権の数々の発言の根底にある価値観が理解できた気がする。


この人はやっぱり、スポークスマンとして致命的なボキャブラリ不足というか、一般人との語嚢の乖離があったんだと思う。もっともソレこそが政治家に求められる資質だと思うので、政策家としてはともかく政治家としては落第だったことは変わりないと思うけれど。

ちょっと上から目線で語らせてもらうと、自分は特にIT系の話を人にする時は、その時の面子のITリテラシーを考慮したうえで、「より大勢」に伝わり易いと思われる表現を採る事がある。例えば専門用語なら1単語で伝わる内容を、ちょっと長くなっても敢えて回りくどい一般的な単語のみで表現しようとする。

そういう会話では、その為に物凄いエネルギーを費やして、二手三手先まで先回りしながら頭をフル回転させて話をしている。自分では表現を平易に崩しているつもりでも、なお伝わらない事まで考慮しながら相手の反応をうかがって話している。

にも掛からず、そういったこちらの努力も目的も読めていないKYに、「それって○○だろ?」としたり顔で専門用語を披露される事がある。知ってるよ!俺「は」!。だからといってその単語を今 振りかざしたところで何人にこちらの本意が伝わるというのか、を考えてから発言して欲しい。

その時点で話の腰も折れるし、こちらの貯めていたエネルギーもあらぬ方向に発散されるし、別の怒りに視点がそれて、話は完全に中断する。文脈を読め、というか簡単に言うとTPOを考慮しろ、と言いたくなる。鳩山元首相の会見におけるマスコミと同様に。

ただ、そういった一部の心無い聞き手の問題とは別に、伝えたい聴衆と本人との語嚢の乖離という問題もある。例えば最近の自分の身近な話で言うと、

「外字」を実装するために画像のバイナリを「Base64エンコード」して「データスキーム」で埋め込むと、メール中に好きな画像を埋め込めるよね。

という話は、括弧内の「外字」「Base64エンコード」「データスキーム」という単語を平易に説明する努力よりも、伝えたい集合により普及している「デコメ」という単語をこちらが知っていれば、一語で解決した。

ローカルな特定の集団においてのみ意思疎通を円滑にするのが「専門用語」なら「デコメ」も専門用語といえる。通用する母集団は10~20代のガラケーユーザーだ。

要するに鳩山元首相は、自分が本当に語りかけたい母集団に対してリーチする「専門用語」を知らなかった事が敗因だったのだと思う。

学者として自分が知っている「(学者用)専門用語」を用いない平易な表現を、発言を求められた時点で急ぎあてがった結果が「いのちを守りたい」とか「ゆらぎ」とか「行き過ぎた市場原理主義」とかの表現に繋がったのだと思う。

その結果、リーチしたい母集団はおろか、元々自分が在席していた専門分野にすら伝わらない。結局は鳩山元首相の基礎知識から目的までを全て理解してくれている身内、つまり文脈の全体を把握している人だけが納得する、という事態に陥ってしまったのではないだろうか。

もしそうだったのなら、鳩山元首相は参謀とか企画立案などの裏方に専念し、その意図する所を、時に善意の嘘で隠し、時に「(一般人向け)専門用語」を用いて、説得力をもって広く国民に「翻訳」できるカリスマをリーダーに据えるべきだったのではと思う。

そんな話は別にして、「博愛」を勝手に「友愛」と呼んで、真意が伝わらないま使い続ける「オレ用語」は非常に中二病くさい。

若い世代の意見が国政に反映されるには、どれぐらい投票率を上げたらいいのか

p.153 「団塊の世代の政治力」を読んでいて気になったので、衆院選の過去の選挙別・年代別のデータから計算してみた。


選挙別・年代別のデータだと、1980年の20代は1990年には30代にスライドしているため、まず出生年別に約10年ごとの投票率を出す。

出生年代別の投票率

次に各年代別の実際の人口に投票率を掛けた、年代別実投票数を出す。

出生年代別の投票人数

1980年代(1980~1989年)生まれは、系列のデータが一個しかないため、ひし形で表示。赤っぽい系列がいわゆる団塊の世代とその周辺、青っぽいデータが現在20~30代の世代。

団塊世代は、やっぱり年代別人口が多い、その上に投票率まで高いので実際の投票数も当然多い。

それ以上の超高齢者世代は、投票率が高いものの、人口は当然減っていくので実数はすでに団塊世代を下回っている。さらに様々な理由により投票自体が困難になってくる事を考えると、向こう数年で傾向が逆転する可能性は低いか。

現在の20~30代、団塊Jrも含まれる世代は、絶対数が少ない上に投票率も低いので、投票実数は相当少なくなっている。しかし直近の傾向だけ見ると、投票率の上昇幅がそれ以上の世代に比べて急なので、今後も投票数の増加が見込めるかもしれない。

肝心の逆転するための投票率は、団塊世代が100%投票されたらどうしょうもないので、団塊世代は前回の選挙時と実数ベースで同じと仮定。その数 約28,452,860。2,850万票。対して、20~30代は総数で、約30,073,000。3,007万人。

逆転に必要な投票率は(2850÷3007)×100≒97.78。98%。非常に厳しい・・・

しかし、40代の就職氷河期世代までが一致団結して、団塊以上世代の逃げ切りは許さん、と同じ方向性で投票すると仮定した場合、総数は約46,810,000。4681万人。

逆転に必要な投票率は(2850÷4681)×100≒60.81。61%。急に現実味を帯びてきた。

さらに今年から参政権を得る世代、就職氷河期が再来している世代が約120万人。7月の時点で満20際になるのが、1/3の40万人とした場合、4721万人。

逆転に必要な投票率は(2850÷4721)×100≒60.36。60%。四捨五入で更に1%ハードルが低下。

前回選挙では1960~80年代の平均投票率は61.98%なので、十分に現実的な数字。1980年代は前回49.54%なので、この世代が投票率を上げれば逆転の可能性は更に高くなる。

実際の所、投票率は上げなくても若い世代の意見が反映される可能性は十分だということに。ただし数が増えても、まとまらないと烏合の衆なので、まずは選挙に行く事、その上で「雰囲気の好き嫌い」などではない確たる根拠に基づいて、何が自分たちのためになるのかを考えて投票する事が必要になる。

参考

2010-06-12

選挙に備えて

総理大臣が落選して国家議員でなくなったら

即クビにはならないが、総辞職及び再指名が必要になる。また再指名される総理は国会議員でなければならないので、落選者が再任する事は無い。

総理大臣が総選挙で落選したらどうなるのですか? - 政治 - 教えて!goo

大臣が落選して国会議員でなくなったら

大臣(国務大臣)は総理が指名し、過半数が国会議員である必要がある。逆に言うと、半数弱は民間人でも良いということになるのか。

国務大臣 - Wikipedia

2010-07-27に予定されている、次の参院選では、特命担当大臣蓮舫氏が東京区で改選を控えている。

東京都選挙区 - Wikipedia

選挙区

参院選は、個人指名の選挙区制73名、政党指名の比例代表制48名。

東京都の場合、選挙区制は東京区(定数10改選5)及び比例代表制は全国区になる。

参議院議員通常選挙 - Wikipedia

さて、東京区立候補者(前回20名)と全政党の公約調べますか。

2010-06-11

Googleの仕事は日本政府よりもよっぽど政府っぽい

  • 自分たちで直接コンテンツを作らず
  • プラットフォームを用意して
  • 参入が容易になるように敷居を下げて
  • 参加者の自助努力で成長できる様に基礎情報は全てだす

一見すると、企業活動としてはタダ乗り扱いされそうだけど、政府の活動として見れば、とても理にかなっていると思う。

Googleは「もし世界政府があるとすれば、そこで必要になるシステムは全てGoogleで作る」というポリシーで動いているそうだ。 web kikaku

嫌な言い方をすると、面白い物を創造する資金は他人に出してもらって、結果を(自分含む)みんなで共有しよう(その為の環境整備は惜しまないが)、という発想は、自分の金で活動している一企業の方が「合理的」に考えた結果、思いついてもおかしくない。

むしろ、人の金を横流しして自分の懐は痛まない政治家の方が、「どうせ自分の金ではない」からこそ、無駄遣いに走りそうだ。

あくまでイメージ的には、五十代以上のおっさんの方が、他人の金(税金、経費)で額面だけデカイ買い物をし慣れている所為で、金銭感覚がおかしいのではと思う。

資金が完全に自腹だった場合、できるだけ大きい投資効果を得ようと思ったら、当然レバレッジをいかに利かせるかを考えないといけないので、成果物に直接投資したりはしたがらないはずだ。

結局、何が流行るか未来の事など誰にも読めない以上、当るも八卦当らぬも八卦な事業に税金を使われるのはいい迷惑。政府は自身が「儲ける」事が目的ではないのだから、「どう転んでも」全体的にはプラスになるプラットフォームの整備に注力して欲しい。

そのお手本がどの国でもなく、Googleという企業だとしたら、面白いが複雑な心境だ。

参考

2010-05-27

弱者は救済されるべきである

という仮定が仮に妥当だとしたら、年金というのは支払う側と受け取る側が逆じゃないだろうか。

年代別の一人当たりの資産をグラフ化してみた。

むしろ60歳以降の方が資産が豊富なのだから、年金とは60歳を過ぎたら払い始めるべきじゃないだろうか。

集められた年金は「若年労働者支援金」という名目で、60歳未満に年齢に応じて再配分したらいい。もちろんより若年の方が多い。

同様に公平を期すため、支払いは年齢に応じて一律に増やしたらいい。60代は1万円、70代は2万円、80代は3万円・・・という風に。

高齢者は若年金の支払いによって社会参加できる。現在の年金がそうであるように、追加支払いも自由にしてもらったらいい。

若年者は年金によって(ベーシックインカムの様な)最低限の保障が受けられるのだから、遠慮せずに起業でも転職でもしたらいい。

ただし、権利が変わる以上、責務も現在とは変わってくると思う。

加齢とともに相対的に体力は衰える物なので、全国民が例外なく「知的勤労所得」を得られるように、「資産家」的所得構成に変化しなければいけない。若いうちにどれだけ肉体的勤労所得を得ようと、ストック(貯蓄)でフロー(年金)は賄えないので、自身の体力に依存しない知的勤労所得が必要になる。

現在、「資産家や起業家」は「労働者」とは方向性の異なる分岐した選択肢と見られているけど、「労働者階級」を卒業し後に「「資産家階級」となるような同一線上の延長であるようにしないといけない。「学生→労働者→資産家」というのが職種を問わない根源的キャリアパスになる必要がある。

逆に若年労働者はベーシックインカムと同様に、「辞めたら生活できないから」という理由でブラック会社でサービス残業は出来ない。「学費がないから」という理由で進学を諦めることが出来ない。生活を年金で保護して貰う以上、そういった言い訳を盾に成長をサボる事が許されない。

国籍を得るだけで学費も、60歳までの生活費も補償され、若年者の移民はかなり緩い。替わりに年金の納められない高齢者は基本的人権も認められない、なんてスパルタ国家だったら国全体がエリート集団になるだろうか・・・

参考

2010-05-26

知的勤労所得

すばらしい響き。

日本語では「勤労所得」の対義語が「不労所得」だけど、不労とは肉体的に労働をしていない、という意味で使われる。

ただ、所得というのは聖書のマナの様に空から降って湧いてくる物でもないので、得られる以上何かが「働いて」いる。ソレが神通力でないなら、肉体以外に働けるのは知能。

つまり、勤労所得が「肉体的」勤労所得だとすると、不労所得とは「知的」勤労所得。

であるならば、逆に勤労所得とは「知的」不労所得ともいえる。

他の人に比べて健康であっても、昔の自分と比べて体力的に衰えるのは、生き物である以上避けられない。ならば加齢にしたがって肉体的勤労所得から、知的勤労所得へシフトしていくのがベターかと思われる。

ただ、ここでいう「知的勤労所得」とはデスクワークなどのいわゆる「頭脳労働」ではない。頭脳労働は結局、自分の肉体における腕力を使うか、脚力を使うか、脳力を使うか、の差でしかないので、ここでは広義で捉えて「肉体的勤労」に入る。

どれだけ早く計算が出来ようと、本人が計算しないと仕事が進まないのなら、仕事の進捗が労働者の「肉体」に依存してしまう。

「知的勤労」とは本人が居なくとも、進む仕事。考案者不在であっても、考案者が「知的」に構築した仕組み上で働く誰か(何か)が動いていれば成果の出る仕事、それを作る過程が「知的勤労」であると思う。

これからは(肉体的)「勤労所得」の対義語は「知的勤労所得」と呼ぼうと思う。

【Audiobook】【補足】私が米国で出会った金持ち母さんと金持ち父さん ≪ The Wisdom of Crowds JP

2010-05-23

ITが国策になる時代

ソフトバンクは、息をするように無尽蔵のトラフィックを生む未来のネット利用像を前提に、それに耐えるインフラ作りとして「光の道」を推している。自前のインフラで自腹でやってくれるなら大賛成で、1ユーザーとして是非利用したい。けど国策としてやる社会主義的な押し売りであるなら反対したい。

問題だと思うのは、「息をするように無尽蔵のトラフィックを生む未来のネット利用像」に耐えるインフラが出来たとして、ユーザーは「息をするように」利用できるほどリテラシーの向上が付いて来るだろうか。

万が一とんとん拍子に計画が進んで、1年後にNTT分割、2年でFTTHの置き換え完了、3年後には「さぁどうぞ」と言われた時に、2014年の65歳は息をするように無尽蔵のトラフィックを生めるだろうか。本人のリテラシーという意味でも、機器の機能という意味でも、社会的体制や法整備という意味でも。リアルタイムで変更可能なソフトウェアどころか、物理的制約があるハードウェアでさえ技術革新に法整備すら追いついていないのが現状だと思う。

孫氏の発言を拾っていると、以下のようなことであるようだ。

1.カルテが共通化されていれば、医師から医師へのコンサルトが瞬時に可能になる
2.検査数値や画像データが共有化されているから、他の医療機関を受診するたびに再検査をする必要がなくなり、コストが安くなる
3.患者宅からデータを送信することで遠隔診断ができる

 どれも、医療の改善にはつながらないと思う。

1.コンサルトするには「紹介状」を書かねばならない。郵便でもファクシミリでも電子メールでも、伝達手段は何でも構わないが、「情報を要約して相手のレベルに合わせて説明する」必要がある。何百ページもあるカルテを、整理も要約もせず、ただ見せて、意見を聞くなどということをしたら失礼だし、自分が同じことをされるのもまっぴら御免だ。
 結局、伝達手段が、郵便やファクシミリや手渡しから、e-mailに変化するだけであって、大した手間の節約にはならない。
:医療情報電子化は手段であって目的ではない  井上晃宏(医師) : アゴラ

息をするように無尽蔵のトラフィックを生む未来のネット利用形態の中で、電子カルテのやり取りにe-mailを想定されている。郵便やFAXの延長としてe-mailが自然な発想で出てくる。はてなでブログを書いて、ツイッターを使いこなして、アゴラに寄稿してる先生ですらこの認識だと、他のご老人方はどうなるのだろう。

Googleが検索分野で行ってきた不定形文書のデータ化、Google waveやdocsでのリアルタイムのコラボ編集やドキュメントの共有、dropboxに代表されるようなクラウドの共有可能なストレージ、skypeに代表されるようなVoIPでのグループ電話やデスクトップの共有。これらに多少なり触れていれば、「息をするように(略)ネット利用」する未来での電子カルテのイメージが湧いてくると思う。

ただ、「息をするような」利用形態に賛成派の自分でも、メールなどよりもよほどプライベートな情報がそこまで自然に「息をするように」利用できるのは色んな意味でもっと先だと思う。反対派でITに明るい先生ですら絶望的な見解。まして反対派でITに疎い先生方が、それでも必要だという「現実」に押しきられて渋々リテラシーの向上に励み「始める」のは一体何年先だろう。

リテラシーや環境整備を考慮したソフト面の成長曲線をブッちぎって整備されるハードウェア。その差が埋まるまで遊んでしまう「無尽蔵のトラフィックに耐えるインフラ」の維持コストは誰が払うのだろう。

もし、19世紀の馬車しか使った事が無い農家に、現代の車を売りにいかなければならない営業マンが居たら、それはそれは苦労すると思う。

営業「120km/h出しても安定して走れます」
農夫「そんなに早く走ってどうするんだ?30km/hも出れば十分だよ

営業「一回給油すれば、500kmは走行可能です」
農夫「地球の裏側にでも野菜を届ける気か?その前に腐っちまうよ

現在ある物とは延長線上で比較すら出来ないイノベーションが起きてしまった場合、一番の不幸はユーザーの理解が得られない事だと思う。見当違いな想定で、現状を「十分」だと判断し、間違った前提で、「不可能だ」と言ってしまう。120km/hで500km走れる車が出来ていたら、野菜を腐らせないで地球の裏側に届ける技術もまた出来ている。

そういった意味でソフトバンクの掲げる利用形態は、いずれ近い形で実現される可能性は、個人的には高いと思う。というか、そうあって欲しい。けどそれは現状を押し切って急いでインフラを整備しないと間に合わないほど近くは無いと思うし、ソフトバンクの台所事情に影響を受けるべきでもないと思う。

なにか今の状態は全て立場が逆に見える。現場から「こう使えたら理想ですよね、早く環境が整えばいいのに」という要望を受けて、インフラ側が「もう何年もしない内に整うからもうちょっと待ってください。是非期待に応えます」といい、両者が協力して遅々として法整備を進めないお役所に「早くしないと大変な事になりますよ」とせっつくのが、これまでの典型的なパターンだと思っていた。

農夫のニーズにだけ応えていたら百年たっても120km/hどころか自動車も出来ない。けど、山奥の農家に車を売るために四車線の道路は要らない。まず農夫としての自分は120km/hで500km走れる車の使い道を真摯に検討しつつも、「貰える物は貰う」という乞食根性を捨てて道路整備は断らなければいけない。

理想は営業マンが来る前に車を買いに行き、不必要でない道路が黙ってても整備される地域に予め住んでおく。そんな場所で自分のやりたい「農業」が望まれる形で展開できたら言う事無いけど。

2010-05-20

「あと5キロ」をやっつけろ!!池田のダイエット大作戦

漫画なので読み易い。一読するだけなら一時間も掛からないくらい。ちゃんと噛み砕いて租借していくにはもっと掛かるけど。

作者の池田暁子氏の著書は「片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術」をライフハック系のブログかなにかで見かけて読んでみたのが初めて。表紙と挿絵だけの文庫本かと思ったら、ソフトカバーの漫画だった。

失礼な言い方すると結構な「ダメ人間」系の著者が、なるべくメンタル依存ではない方法論を確立しながら物事に対処していく様子が、励みにもなるし参考にもなる。

「あと5キロ」でもPDCAサイクルをナチュラルにこなしているのが凄い。やっぱり「がんばりました」で終わらせないために最低限必要なのは、客観的な記録とそれに基づいた分析。反省するにしても「がんばり度が足りなかった」なんて根性論的・主観的な表現では他人の参考にはならないし。

ただ、分析の際に数字的根拠まで踏み込んでいない所がもったいないと思う。カロリーの話はちょろっと出てきたけど、全体を通しては触れられていなかった。面倒臭さとか複雑さを省くためにしても補足的な解説はあったらよかったけど。

個人的には、利用するのに十分な原理を把握できていない方法や道具は怖いと思う。仕様の公開されていないAPIをテストもしないで勝手に使うような感じで。失敗した時に原因が追求できないのも困る。

論拠が解った上で、利用フェーズに最適化した「公式」に簡易化して、それを日常生活に無理なく段階的に(かつ継続的に)適用していくのが「改善」。とすると、この本は体質改善(=ダイエット)の適用フェーズ、つまり第2章とか応用編にあたる物だと思う。

読む前に完全に想定外だったのが、女性特有の原因による増減(結構赤裸々に書いているなぁと思う)。自分も減量した時の話を他人に聞かれる事があったけど、その辺全く考慮していなかった。今度から相手の状況を聞き取りをしている時に引っかかる部分があったら気を付け様と思う。「そんなハズは無い」とか言って押し通してたかもしれない・・・

2010-05-17

現代の金融入門【新版】

全然頭に入らなかった。池田信夫氏の著書などに比べて表現が硬いのは抜きにしても、使う予定のないプログラム言語のリファレンスとか使う予定のないライブラリのAPIとか眺めている感じで右から左だった。多分今は自分が必要としてないのかも知れない。

専門知識がなくても解るトップダウンでの「経済概論」的な話とも、直接的な、こうすればこういう利息がもらえるとか、こう買えばこういう損益がでる、というボトムアップな話とも距離感があって、自分の知ってる範囲からはどちらからアプローチしても遠く、直接応用出来るような項目がカスリもしなかった。

そういう意味では、スクリプト言語を使う際に知る必要がない、CPUやメモリのアーキテクチャ論に無理に首突っ込んでいる時に印象が近いかも。

書かれてる内容自体は、日本語として理解できない程難解ではなかったので(「入門」ですし)いずれこの本に書かれている内容を応用できる様になった頃に改めて読み返してみたい。

今の自分でもかろうじて興味を引かれたのは

  • 第3章 金融政策と中央銀行
  • 第6章 金融機能の分解と高度化 2.デリバティブ
  • 第7章 金融規制監督

改めてみるとチョイスがミーハーかなぁと思う。

「民主党」支持率

1人単位まで数字が出ていたので、計算してみた。


参考資料

関連数字抜粋

  • 有権者数:104,057,361人(103,949,442+107,919)
  • 投票者数:72,032,387人(72,003,538+28,849)
  • 得票数民主党:29,844,799票

民主党への投票率

  • 投票者数に対する「民主党」への投票割合≒41.43%
  • 有権者数に対する「民主党」への投票割合≒28.68%

発足時の内閣支持率は世論調査で75%。

1/3に満たない国民の意思で与党が決定されて、1/2に近い国民が投票していないのに「なんとなく」支持していた。という状況はすごく危うく見える。

最近の世論調査では、20%前後まで落ちているので、「なんとなく」層どころか、「実際に投票した」支持層にも見放され始めている。

当選ラインが有効票に占める得票数ではなく、有権者数又は総投票数に占める得票数なら、無効票投票も意味があるかもしれない。過去の集計を見る限り「得票率」という表現は、投票数に占める割合だと思われる。支持政党がないけどどうにか意思表示したい場合、投票行為の前の段階で対策を考えなければ。

辞められない、を辞めるために

恐らくエントリーの主旨と関係ない部分での引用だと思われるので申し訳ないのですが、


不景気ってのは嫌だね、こんな会社をさっさと辞められないんだもん。
:有給休暇の取得は戦いだ

ブラック会社ネタでもよく見る「辞めればいいのに」と言われると、「辞めたら食べていけない」という問答。「辞められない」理由が「不景気」という状態は、自分の生存が恐ろしくコントロール不可能な外部性(景気)に依存している、という事だと思う。

アン・コントローラブルな部分に愚痴をたれてる暇に、コントローラブル部分に集中投資した方がいい、という話は「7つの習慣」に出てきた話だと思う。

例えば、

殆ど完全に自立した保険

  • 貯蓄
  • 副業
  • 投資

半分依存した保険として

  • 失業保険
  • 大家族化

などの手段が思いつく。

特に個人的には最後の「大家族化」というのは他にも種々の問題が解決できる良い方法だと思う。生活費という点に関してだけでも、世帯構成員が多いということは、一部の構成員が一定期間無収入でも世帯全体は維持できるので、セルフベーシックインカム的な役割が期待できる思う。

自分の支えになる収入源は複数あった方がいい、という話は「金持ち父さん貧乏父さん」に出てきたと思う。大家族化というのは、個人から見た収入源という意味でも、世帯内の収入源という意味でも多重化されていると思う。

この辺の書籍はスピリチュアルで曖昧な一般論しか書かれていないと勘違いされがちだけど、空手の型分解の様に各部位にスポットを当てて読んでみると、実践的に応用可能な話がそこかしこにちりばめられている。