2010-06-20

「読むだけで絶対やめられる 禁煙セラピー」(アレン・カー、阪本章子・訳

喫煙者は二種類の依存症に罹っている。

  • ニコチン依存
  • 喫煙依存

の二つだ。

従来「禁煙」をする場合、主に前者が重要視されていた。つまり、肉体的に薬物依存になっているのだから、一定期間ニコチンの摂取を我慢できればやめられるという理屈だ。

しかし、ニコチンはどの麻薬より依存性が強いが、どの麻薬より禁断症状が弱い。三週間もすれば99%は体内から排出される。ならばなぜ人は禁煙に失敗するのか、なぜ一度禁煙に成功してもまた吸い始めてしまう人が居るのか。

それは精神的に依存しているからだ。という点に気付いた著者がいかにして精神的にタバコから自立するかに本書の八割が割かれている。

些細だけど重要な違いは次の質問で区別できる
「なぜタバコを吸いたいのか」
「なぜタバコを吸わなければならないのか」

恐らく口頭の会話で後者の質問をするとお決まりの回答が来ると思う。「吸いたいから吸っているんだ」「好きで吸ってるんだ」。聞きたいのはそこではなく、なぜ吸わなければ「ならない」か、だ。

つまり喫煙者は社会的な「洗脳」によって、無意識に「吸わなければならない」と思わされている。が、その事に気付いていない。というのが著者の論。

「吸わなければならない」と考えるのは、喫煙者自信の思考なので、これを我慢する、つまり「禁煙」しようとすることは、自分自身と力比べをするようなものだ。

タバコの煙は、本来カラダに悪い事が直感的にも、最近では医学的にも証明されつつある世の中で、敢えて吸い込み体に入れようとするのだから、相当強い精神力がなければできる事ではない。つまり喫煙者は精神力が強いからこそ喫煙者になれる。その強い自身の精神力による「喫煙」思考をそのままに、反対向きに「禁煙」思考をしても疲れるだけで、何も解決しない。だからまず「喫煙」思考を止めなければいけない。

つまり社会的な「喫煙しなければならない」という洗脳をとけば「禁煙」しようとする反対向きの力など要らなくなる。「禁煙」とは「吸いたいが我慢する」という思考だが、そもそも「吸いたい」と思わなければ我慢する必要すらなくなる。最近の日本ではこれを「卒煙」などと呼び明確に区別する向きもある。

私は以前から「喫煙者」ではなく「ニコチン依存患者」と呼べばいいと思っていたが、違った。喫煙者はニコチン依存ではなく「喫煙」依存だった。「喫煙」に精神的に依存しており、「吸わなければいけない」と(潜在的にせよ)思わされていたのだ。

これはタバコ以外にも色々と応用できる考え方かもしれない。薬物依存の場合、肉体的な禁断症状も伴うだろうけど、それ以外の「しなくて良いことをなぜかしてしまいドツボにはまる系」の依存は皆同じ考えた方で解決できると思う。

例えば肥満は、食べなくてもいい程の大量の食事によって、必要以上に体重が増加している。食べ物をとりあげても、断食をしても、時間が経てばまた太る。つまり「過食」依存だ。

この場合、禁煙セラピーに習い
「なぜ食べたいのか」を自問するのでなはなく、
「なぜ食べなければならないのか」を自問する。
もちろん回答などない。

生命維持に必要十分な食事をとればそれ以上は必要ないはずだ。なので何かしらの原因により「食べなければいけない」と思い込んでいるのなら、その原因に当って洗脳を解く必要がある。

我慢はいずれ破綻するので、食べたいが我慢する「禁過食」ではなく、食べたいと思わない「卒過食」をする必要がある。

減量に必要なカロリー計算など小学校を卒業していれば十分に可能なのだから、根源的に解決するには、無いはずの空虚な根拠を信じる洗脳を如何にして解くかが重要になる。

元々吸わないどころか「嫌煙」の自分がこの本を手に取ったのは、最初から(当然)禁煙が目的では無かった。あの頑固の代名詞とも思える喫煙者をどうやって禁煙に導いているのか。まして喫煙のマイナス面を並べ立てるわけでもない、どんな方法で「洗脳」しているのかに興味があった。しかし実際には「洗脳」を解くことがカギになるという予想と正反対の内容だった。この本は「禁煙」というテーマ以上の、メンタルコントロールに関する大きな示唆を与えてくれた。

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