2010-05-23

ITが国策になる時代

ソフトバンクは、息をするように無尽蔵のトラフィックを生む未来のネット利用像を前提に、それに耐えるインフラ作りとして「光の道」を推している。自前のインフラで自腹でやってくれるなら大賛成で、1ユーザーとして是非利用したい。けど国策としてやる社会主義的な押し売りであるなら反対したい。

問題だと思うのは、「息をするように無尽蔵のトラフィックを生む未来のネット利用像」に耐えるインフラが出来たとして、ユーザーは「息をするように」利用できるほどリテラシーの向上が付いて来るだろうか。

万が一とんとん拍子に計画が進んで、1年後にNTT分割、2年でFTTHの置き換え完了、3年後には「さぁどうぞ」と言われた時に、2014年の65歳は息をするように無尽蔵のトラフィックを生めるだろうか。本人のリテラシーという意味でも、機器の機能という意味でも、社会的体制や法整備という意味でも。リアルタイムで変更可能なソフトウェアどころか、物理的制約があるハードウェアでさえ技術革新に法整備すら追いついていないのが現状だと思う。

孫氏の発言を拾っていると、以下のようなことであるようだ。

1.カルテが共通化されていれば、医師から医師へのコンサルトが瞬時に可能になる
2.検査数値や画像データが共有化されているから、他の医療機関を受診するたびに再検査をする必要がなくなり、コストが安くなる
3.患者宅からデータを送信することで遠隔診断ができる

 どれも、医療の改善にはつながらないと思う。

1.コンサルトするには「紹介状」を書かねばならない。郵便でもファクシミリでも電子メールでも、伝達手段は何でも構わないが、「情報を要約して相手のレベルに合わせて説明する」必要がある。何百ページもあるカルテを、整理も要約もせず、ただ見せて、意見を聞くなどということをしたら失礼だし、自分が同じことをされるのもまっぴら御免だ。
 結局、伝達手段が、郵便やファクシミリや手渡しから、e-mailに変化するだけであって、大した手間の節約にはならない。
:医療情報電子化は手段であって目的ではない  井上晃宏(医師) : アゴラ

息をするように無尽蔵のトラフィックを生む未来のネット利用形態の中で、電子カルテのやり取りにe-mailを想定されている。郵便やFAXの延長としてe-mailが自然な発想で出てくる。はてなでブログを書いて、ツイッターを使いこなして、アゴラに寄稿してる先生ですらこの認識だと、他のご老人方はどうなるのだろう。

Googleが検索分野で行ってきた不定形文書のデータ化、Google waveやdocsでのリアルタイムのコラボ編集やドキュメントの共有、dropboxに代表されるようなクラウドの共有可能なストレージ、skypeに代表されるようなVoIPでのグループ電話やデスクトップの共有。これらに多少なり触れていれば、「息をするように(略)ネット利用」する未来での電子カルテのイメージが湧いてくると思う。

ただ、「息をするような」利用形態に賛成派の自分でも、メールなどよりもよほどプライベートな情報がそこまで自然に「息をするように」利用できるのは色んな意味でもっと先だと思う。反対派でITに明るい先生ですら絶望的な見解。まして反対派でITに疎い先生方が、それでも必要だという「現実」に押しきられて渋々リテラシーの向上に励み「始める」のは一体何年先だろう。

リテラシーや環境整備を考慮したソフト面の成長曲線をブッちぎって整備されるハードウェア。その差が埋まるまで遊んでしまう「無尽蔵のトラフィックに耐えるインフラ」の維持コストは誰が払うのだろう。

もし、19世紀の馬車しか使った事が無い農家に、現代の車を売りにいかなければならない営業マンが居たら、それはそれは苦労すると思う。

営業「120km/h出しても安定して走れます」
農夫「そんなに早く走ってどうするんだ?30km/hも出れば十分だよ

営業「一回給油すれば、500kmは走行可能です」
農夫「地球の裏側にでも野菜を届ける気か?その前に腐っちまうよ

現在ある物とは延長線上で比較すら出来ないイノベーションが起きてしまった場合、一番の不幸はユーザーの理解が得られない事だと思う。見当違いな想定で、現状を「十分」だと判断し、間違った前提で、「不可能だ」と言ってしまう。120km/hで500km走れる車が出来ていたら、野菜を腐らせないで地球の裏側に届ける技術もまた出来ている。

そういった意味でソフトバンクの掲げる利用形態は、いずれ近い形で実現される可能性は、個人的には高いと思う。というか、そうあって欲しい。けどそれは現状を押し切って急いでインフラを整備しないと間に合わないほど近くは無いと思うし、ソフトバンクの台所事情に影響を受けるべきでもないと思う。

なにか今の状態は全て立場が逆に見える。現場から「こう使えたら理想ですよね、早く環境が整えばいいのに」という要望を受けて、インフラ側が「もう何年もしない内に整うからもうちょっと待ってください。是非期待に応えます」といい、両者が協力して遅々として法整備を進めないお役所に「早くしないと大変な事になりますよ」とせっつくのが、これまでの典型的なパターンだと思っていた。

農夫のニーズにだけ応えていたら百年たっても120km/hどころか自動車も出来ない。けど、山奥の農家に車を売るために四車線の道路は要らない。まず農夫としての自分は120km/hで500km走れる車の使い道を真摯に検討しつつも、「貰える物は貰う」という乞食根性を捨てて道路整備は断らなければいけない。

理想は営業マンが来る前に車を買いに行き、不必要でない道路が黙ってても整備される地域に予め住んでおく。そんな場所で自分のやりたい「農業」が望まれる形で展開できたら言う事無いけど。

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