2010-06-29

「二重洗脳 - 依存症の謎を解く」(磯村 毅 著)

禁煙セラピー 」の補完を目的に読んでみた一冊。医者による依存症の(特にメンタル面での)メカニズムと解決に向けたアプローチ。

医学的なアプローチと言う面では、「禁煙セラピー」よりも正確で掘り下げた説明をしているけど、その分堅苦しい感じはある。読み物としてのテンポや魅せ方という点では「禁煙セラピー」の方が面白い。内容的に言っている事は同じ。

読み終わるまでタイトルを「二重依存」だと思いこんでいた。私の期待した「二重依存」とは依存性薬物による肉体的依存と、社会的洗脳による精神的依存。「禁煙セラピー」を読んだ段階での喫煙の依存原因がそこにある、という理解だった。

本書での「二重」とは依存性薬物によってもたらされる、「飴」(恍惚感など)と「鞭」(禁断症状)の二つの内、依存性薬物を前者とのみ関連づけることで、調教的洗脳が行われるという趣旨。結果的に精神面での依存度が依存症の解決のカギになる、と言う点では「禁煙セラピー」と同じだが、精神依存の種類にやや違いがある。

「禁煙セラピー」では、社会的な「成人男性たるものタバコは吸うべき」「吸うのがカッコイイ」といった洗脳によって、喫煙者の中で「吸う理由」を肯定する礎ができているとしてた。

対して本書では、「飴と鞭」によって、吸い始めた後に喫煙そのものを、喫煙者自身がより肯定していく心理的変化を説明している。

薬物に依存していない正常な場合、落ち着いたリラックス状態と、イライラしたストレス状態を行ったり来たりする。なんらかの連続的な作業(仕事など)によって負荷をかけると精神はストレスを受ける。それがピークに達すると(下の点線)我慢できなくなり、休息が必要と判断する。休息を取るとストレスが緩和され、リラックスに向かう。

これが薬物に依存している場合、図の様に変化する。特徴としては以下の二点に集約される。

  • 回復が早い
  • 耐性が付く

薬物によるストレスの緩和は自然回復に比べ早い(a-b間)。特にタバコの場合、摂取方法が呼気による吸入なので他の麻薬より圧倒的に脳に近く、聞き始めも早い。そのため、恍惚感やリラックスなどの「飴」が薬物の摂取と時間的に近いことで、「飴の原因=薬物」という図式が本人の中で生まれる。

しかし、回復が早い反面、薬物による回復は耐性がつく(脳神経が劣化する)。そのため、リラックスのピーク(b点)が自然回復時よりも低くなる。たとえストレスの受け方が健常者と同じであっても、ストレスのピーク(a点上の点線)に到達するのが早くなる。結果、回復が必要と判断されるまでの活動時間が短くなる。

しかし、本人の活動時間が短くなろうと、業務上の休憩間隔を短くしてもらえるわけではないので、ストレスを感じたまま作業を続けなければならなくなる。このストレスのピークを超えた状態が禁断症状と呼ばれる「鞭」になる。

本来このような鞭に苛まれるのは、薬物が原因だが、薬物の摂取から時間が経っているため、直感的には関連付けられない。

鞭による更なるストレスを受け続けた直後に薬物を再度摂取すると、「急速に」回復する。そのため、酷い状態から急速に救われた事でさらに「薬物=飴」の図式がより強く肯定される。

このように、人間の時間的な感覚の盲点を突き、飴と鞭の原因を直感的に把握できないどころか誤解させる事で、苦悩の原因となっているはずの薬物が自分の救世主であると勘違いしていく。さらにその勘違いをエンドレスに増強していくのは、苦情を申し立てるはずの被害者本人。という非常に厄介なエコ(循環)システムによって薬物が延々と消費されていく。

この構図の厄介な点は、薬物を肯定しているのが被害者の感覚によるので、自身の主観的な判断によって「計画的」に活動している、と思い込んでしまう点にある。そのため、本来救済者である第3者による論理的な忠告が、自分を落としいれようとする悪魔の囁きに聞こえてくる。

そのため、解決するには本人の「気づき」による内証的な解決が必要と説く。後半は「気づき」と「ポジティブシンキング」の違いや、錯視を用いた「気づき」の解説などに当てられている。

個人的に知りたかったのは、本書で「気づき」と称しているアプローチの、適性によらない体系的な技術だった。本書はその答えを提示してくれなかったという点ではやや期待外れだったが、参考になる点や着想の種になる収穫はあった。

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