2010-06-30

ネットの選挙活動は何をしてはいけないのか

ネットで選挙に関する情報を色々調べていると、当然ネットでの選挙活動が禁止されている事はすぐに目に付く。なので、選挙期間中は関係者(主に立候補者と関連団体の)あらゆる情報の更新が止まるものと思っていたがそうでもないらしい。

ソースは失念してしまったけど、今回もしくは直近のいずれかの選挙期間において、政党のサイトが更新された事に対して、選挙管理委員会が「『政策の一覧(or列挙)なので問題ない』との見解をしめした」、という旨の記述を見た。

政策の一覧を列挙する事以外にどんな選挙活動をするのか。根本的な理解が間違っていたらしく、正直軽いパニックになった。

公職選挙法とはほんとよくわからん法律だ :投資十八番 

こちらを見てようやく解決した。要するに禁止されているのは「私に投票して下さい」とか「○○さんに投票すべきではない」とか「○○党はおかしい」などの支持や不支持を表明する文書図画の配布が禁止されるらしい。

バカじゃなかろうかと思う。小学校のクラス代表選挙じゃあるまいし、立候補者や関連団体が、わざわざ選挙期間中に時間を割いてまでオンデマンドのネット上でイメージアップ活動をしてどうするのか。

有権者として知りたいのは、立候補者の人となりではなく、政策や過去の政策に対する実行力などだ。成人した社会人が国政を担う国会議員を「怖そう」とか「物言いが憎たらしい」とか「生理的に好きになれない」とかで決めると思われているのだろうか。

政策・提案の一覧や説明が更新していいのなら、そもそもネットの選挙活動は現時点で「解禁している」と言って差し支えない。あとはどれだけ視認性が高いか、リーチしやすいかといった、サービスが提供されるかどうかの問題だ。

現状では、自分の選挙区の立候補者の一覧、比例区の政党一覧すらそろえるのが面倒くさい。実際にはそこから各人の政策ポリシー、各党の公約、個人としての方針と所属政党の方針との一致度、過去の公約の達成率/未達成率/取り下げ率/変更率などを調べないと、まともな選択に基づいた投票は出来ない。

ネットですら面倒くさいこれらの下調べはネットが無い時代には相当難しかったと思う。まさか全立候補者の街頭演説を見学して録画するわけにも行かない。ましてフルタイムのサラリーマンなら投票すべき自宅の選挙区外で日中拘束されているのが普通で、立候補者の演説など1度も聞けずに選挙を迎えても不思議ではない。

せっかくネットのある時代なのだから、もう少し気の利いたサービスがあってもいい。

立候補者・政党全ての提言されている公約を一覧でき、「支持/不支持」「取り下げ/変更/達成/未達成」など閲覧者の各人の点数を入力して全政党を横断的にチェックする機能なども欲しい。欲しいのは各党が公示した公約の一覧とそれを各人が採点しやすくするフォームなので、「支持/不支持」を頒布するわけではない。統計とって選挙前に公表などがされなければ人気投票にもならない。

前もって予測するこは禁止されているけど、事後公開なら良さそうなので、サービス利用者層の総意が実際の選挙結果とどれだけ一致していたかなどは比較できても良いかもしれない。

そもそも「参院選 立候補者」で検索したら、公式(go.jpドメイン)のサイトで立候補者と比例区の政党一覧が検索結果一位にあがってくるぐらいの準備はして欲しいものだ。全国に木製のボードを立てて画鋲でポスター貼り付けるよりよっぽど安上だと思うが。

2010-06-29

「二重洗脳 - 依存症の謎を解く」(磯村 毅 著)

禁煙セラピー 」の補完を目的に読んでみた一冊。医者による依存症の(特にメンタル面での)メカニズムと解決に向けたアプローチ。

医学的なアプローチと言う面では、「禁煙セラピー」よりも正確で掘り下げた説明をしているけど、その分堅苦しい感じはある。読み物としてのテンポや魅せ方という点では「禁煙セラピー」の方が面白い。内容的に言っている事は同じ。

読み終わるまでタイトルを「二重依存」だと思いこんでいた。私の期待した「二重依存」とは依存性薬物による肉体的依存と、社会的洗脳による精神的依存。「禁煙セラピー」を読んだ段階での喫煙の依存原因がそこにある、という理解だった。

本書での「二重」とは依存性薬物によってもたらされる、「飴」(恍惚感など)と「鞭」(禁断症状)の二つの内、依存性薬物を前者とのみ関連づけることで、調教的洗脳が行われるという趣旨。結果的に精神面での依存度が依存症の解決のカギになる、と言う点では「禁煙セラピー」と同じだが、精神依存の種類にやや違いがある。

「禁煙セラピー」では、社会的な「成人男性たるものタバコは吸うべき」「吸うのがカッコイイ」といった洗脳によって、喫煙者の中で「吸う理由」を肯定する礎ができているとしてた。

対して本書では、「飴と鞭」によって、吸い始めた後に喫煙そのものを、喫煙者自身がより肯定していく心理的変化を説明している。

薬物に依存していない正常な場合、落ち着いたリラックス状態と、イライラしたストレス状態を行ったり来たりする。なんらかの連続的な作業(仕事など)によって負荷をかけると精神はストレスを受ける。それがピークに達すると(下の点線)我慢できなくなり、休息が必要と判断する。休息を取るとストレスが緩和され、リラックスに向かう。

これが薬物に依存している場合、図の様に変化する。特徴としては以下の二点に集約される。

  • 回復が早い
  • 耐性が付く

薬物によるストレスの緩和は自然回復に比べ早い(a-b間)。特にタバコの場合、摂取方法が呼気による吸入なので他の麻薬より圧倒的に脳に近く、聞き始めも早い。そのため、恍惚感やリラックスなどの「飴」が薬物の摂取と時間的に近いことで、「飴の原因=薬物」という図式が本人の中で生まれる。

しかし、回復が早い反面、薬物による回復は耐性がつく(脳神経が劣化する)。そのため、リラックスのピーク(b点)が自然回復時よりも低くなる。たとえストレスの受け方が健常者と同じであっても、ストレスのピーク(a点上の点線)に到達するのが早くなる。結果、回復が必要と判断されるまでの活動時間が短くなる。

しかし、本人の活動時間が短くなろうと、業務上の休憩間隔を短くしてもらえるわけではないので、ストレスを感じたまま作業を続けなければならなくなる。このストレスのピークを超えた状態が禁断症状と呼ばれる「鞭」になる。

本来このような鞭に苛まれるのは、薬物が原因だが、薬物の摂取から時間が経っているため、直感的には関連付けられない。

鞭による更なるストレスを受け続けた直後に薬物を再度摂取すると、「急速に」回復する。そのため、酷い状態から急速に救われた事でさらに「薬物=飴」の図式がより強く肯定される。

このように、人間の時間的な感覚の盲点を突き、飴と鞭の原因を直感的に把握できないどころか誤解させる事で、苦悩の原因となっているはずの薬物が自分の救世主であると勘違いしていく。さらにその勘違いをエンドレスに増強していくのは、苦情を申し立てるはずの被害者本人。という非常に厄介なエコ(循環)システムによって薬物が延々と消費されていく。

この構図の厄介な点は、薬物を肯定しているのが被害者の感覚によるので、自身の主観的な判断によって「計画的」に活動している、と思い込んでしまう点にある。そのため、本来救済者である第3者による論理的な忠告が、自分を落としいれようとする悪魔の囁きに聞こえてくる。

そのため、解決するには本人の「気づき」による内証的な解決が必要と説く。後半は「気づき」と「ポジティブシンキング」の違いや、錯視を用いた「気づき」の解説などに当てられている。

個人的に知りたかったのは、本書で「気づき」と称しているアプローチの、適性によらない体系的な技術だった。本書はその答えを提示してくれなかったという点ではやや期待外れだったが、参考になる点や着想の種になる収穫はあった。

2010-06-20

「読むだけで絶対やめられる 禁煙セラピー」(アレン・カー、阪本章子・訳

喫煙者は二種類の依存症に罹っている。

  • ニコチン依存
  • 喫煙依存

の二つだ。

従来「禁煙」をする場合、主に前者が重要視されていた。つまり、肉体的に薬物依存になっているのだから、一定期間ニコチンの摂取を我慢できればやめられるという理屈だ。

しかし、ニコチンはどの麻薬より依存性が強いが、どの麻薬より禁断症状が弱い。三週間もすれば99%は体内から排出される。ならばなぜ人は禁煙に失敗するのか、なぜ一度禁煙に成功してもまた吸い始めてしまう人が居るのか。

それは精神的に依存しているからだ。という点に気付いた著者がいかにして精神的にタバコから自立するかに本書の八割が割かれている。

些細だけど重要な違いは次の質問で区別できる
「なぜタバコを吸いたいのか」
「なぜタバコを吸わなければならないのか」

恐らく口頭の会話で後者の質問をするとお決まりの回答が来ると思う。「吸いたいから吸っているんだ」「好きで吸ってるんだ」。聞きたいのはそこではなく、なぜ吸わなければ「ならない」か、だ。

つまり喫煙者は社会的な「洗脳」によって、無意識に「吸わなければならない」と思わされている。が、その事に気付いていない。というのが著者の論。

「吸わなければならない」と考えるのは、喫煙者自信の思考なので、これを我慢する、つまり「禁煙」しようとすることは、自分自身と力比べをするようなものだ。

タバコの煙は、本来カラダに悪い事が直感的にも、最近では医学的にも証明されつつある世の中で、敢えて吸い込み体に入れようとするのだから、相当強い精神力がなければできる事ではない。つまり喫煙者は精神力が強いからこそ喫煙者になれる。その強い自身の精神力による「喫煙」思考をそのままに、反対向きに「禁煙」思考をしても疲れるだけで、何も解決しない。だからまず「喫煙」思考を止めなければいけない。

つまり社会的な「喫煙しなければならない」という洗脳をとけば「禁煙」しようとする反対向きの力など要らなくなる。「禁煙」とは「吸いたいが我慢する」という思考だが、そもそも「吸いたい」と思わなければ我慢する必要すらなくなる。最近の日本ではこれを「卒煙」などと呼び明確に区別する向きもある。

私は以前から「喫煙者」ではなく「ニコチン依存患者」と呼べばいいと思っていたが、違った。喫煙者はニコチン依存ではなく「喫煙」依存だった。「喫煙」に精神的に依存しており、「吸わなければいけない」と(潜在的にせよ)思わされていたのだ。

これはタバコ以外にも色々と応用できる考え方かもしれない。薬物依存の場合、肉体的な禁断症状も伴うだろうけど、それ以外の「しなくて良いことをなぜかしてしまいドツボにはまる系」の依存は皆同じ考えた方で解決できると思う。

例えば肥満は、食べなくてもいい程の大量の食事によって、必要以上に体重が増加している。食べ物をとりあげても、断食をしても、時間が経てばまた太る。つまり「過食」依存だ。

この場合、禁煙セラピーに習い
「なぜ食べたいのか」を自問するのでなはなく、
「なぜ食べなければならないのか」を自問する。
もちろん回答などない。

生命維持に必要十分な食事をとればそれ以上は必要ないはずだ。なので何かしらの原因により「食べなければいけない」と思い込んでいるのなら、その原因に当って洗脳を解く必要がある。

我慢はいずれ破綻するので、食べたいが我慢する「禁過食」ではなく、食べたいと思わない「卒過食」をする必要がある。

減量に必要なカロリー計算など小学校を卒業していれば十分に可能なのだから、根源的に解決するには、無いはずの空虚な根拠を信じる洗脳を如何にして解くかが重要になる。

元々吸わないどころか「嫌煙」の自分がこの本を手に取ったのは、最初から(当然)禁煙が目的では無かった。あの頑固の代名詞とも思える喫煙者をどうやって禁煙に導いているのか。まして喫煙のマイナス面を並べ立てるわけでもない、どんな方法で「洗脳」しているのかに興味があった。しかし実際には「洗脳」を解くことがカギになるという予想と正反対の内容だった。この本は「禁煙」というテーマ以上の、メンタルコントロールに関する大きな示唆を与えてくれた。

2010-06-18

競争と公平感―市場経済の本当のメリット

数式の羅列された経済学の本ではなく、雑学書に近いイメージ。凄い読みやすい。随所に「誰かに教えたくなる雑学」的ネタがちりばめられていて飽きない。

比較的最近の本なので現在進行系の現政権の話も出てくる。2010年7月の参院選に向けて各政党の公約をチェックする際に役に立つ即効性もあると思う。

この本に出てくる様々「不公平感」の原因や、健全な競争の為に何が必要か、何に問題があるので何処をどう直すべきかという話は、公約をチェックする上で「なんとなく嫌い」「キナ臭い」といった感情論以上の根拠を持つ知識やそのきっかけを与えてくれると思う。

自分たちが救われるべき弱者だと思っている人が、実は自分たちを苦しめる要求を自らしていたりするので、言われるままに扇動されるより、一度きちんと考えて見たい。

マスゴミなどと揶揄しつつもマスコミしか情報源が無かったり、選挙カーや街頭演説などうるさいだけで役に立たないと言いつつ、それ以上の情報源無しに選挙に行ったり、選挙に行かないことがどういう結果を招くのか考えずに参政権を放棄していたり。

選挙を目前に控える今こそこの本を読むべきタイミングだと思った。

2010-06-15

「友愛」の真意

祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印|この一年の注目記事|新しい日本を創る提言誌 Voice+ ボイスプラス

p.236 参考文献一覧にて目に止まったので、読んでみた。鳩山元首相のコラム。これを読んでようやく(今更)、鳩山政権の数々の発言の根底にある価値観が理解できた気がする。


この人はやっぱり、スポークスマンとして致命的なボキャブラリ不足というか、一般人との語嚢の乖離があったんだと思う。もっともソレこそが政治家に求められる資質だと思うので、政策家としてはともかく政治家としては落第だったことは変わりないと思うけれど。

ちょっと上から目線で語らせてもらうと、自分は特にIT系の話を人にする時は、その時の面子のITリテラシーを考慮したうえで、「より大勢」に伝わり易いと思われる表現を採る事がある。例えば専門用語なら1単語で伝わる内容を、ちょっと長くなっても敢えて回りくどい一般的な単語のみで表現しようとする。

そういう会話では、その為に物凄いエネルギーを費やして、二手三手先まで先回りしながら頭をフル回転させて話をしている。自分では表現を平易に崩しているつもりでも、なお伝わらない事まで考慮しながら相手の反応をうかがって話している。

にも掛からず、そういったこちらの努力も目的も読めていないKYに、「それって○○だろ?」としたり顔で専門用語を披露される事がある。知ってるよ!俺「は」!。だからといってその単語を今 振りかざしたところで何人にこちらの本意が伝わるというのか、を考えてから発言して欲しい。

その時点で話の腰も折れるし、こちらの貯めていたエネルギーもあらぬ方向に発散されるし、別の怒りに視点がそれて、話は完全に中断する。文脈を読め、というか簡単に言うとTPOを考慮しろ、と言いたくなる。鳩山元首相の会見におけるマスコミと同様に。

ただ、そういった一部の心無い聞き手の問題とは別に、伝えたい聴衆と本人との語嚢の乖離という問題もある。例えば最近の自分の身近な話で言うと、

「外字」を実装するために画像のバイナリを「Base64エンコード」して「データスキーム」で埋め込むと、メール中に好きな画像を埋め込めるよね。

という話は、括弧内の「外字」「Base64エンコード」「データスキーム」という単語を平易に説明する努力よりも、伝えたい集合により普及している「デコメ」という単語をこちらが知っていれば、一語で解決した。

ローカルな特定の集団においてのみ意思疎通を円滑にするのが「専門用語」なら「デコメ」も専門用語といえる。通用する母集団は10~20代のガラケーユーザーだ。

要するに鳩山元首相は、自分が本当に語りかけたい母集団に対してリーチする「専門用語」を知らなかった事が敗因だったのだと思う。

学者として自分が知っている「(学者用)専門用語」を用いない平易な表現を、発言を求められた時点で急ぎあてがった結果が「いのちを守りたい」とか「ゆらぎ」とか「行き過ぎた市場原理主義」とかの表現に繋がったのだと思う。

その結果、リーチしたい母集団はおろか、元々自分が在席していた専門分野にすら伝わらない。結局は鳩山元首相の基礎知識から目的までを全て理解してくれている身内、つまり文脈の全体を把握している人だけが納得する、という事態に陥ってしまったのではないだろうか。

もしそうだったのなら、鳩山元首相は参謀とか企画立案などの裏方に専念し、その意図する所を、時に善意の嘘で隠し、時に「(一般人向け)専門用語」を用いて、説得力をもって広く国民に「翻訳」できるカリスマをリーダーに据えるべきだったのではと思う。

そんな話は別にして、「博愛」を勝手に「友愛」と呼んで、真意が伝わらないま使い続ける「オレ用語」は非常に中二病くさい。

若い世代の意見が国政に反映されるには、どれぐらい投票率を上げたらいいのか

p.153 「団塊の世代の政治力」を読んでいて気になったので、衆院選の過去の選挙別・年代別のデータから計算してみた。


選挙別・年代別のデータだと、1980年の20代は1990年には30代にスライドしているため、まず出生年別に約10年ごとの投票率を出す。

出生年代別の投票率

次に各年代別の実際の人口に投票率を掛けた、年代別実投票数を出す。

出生年代別の投票人数

1980年代(1980~1989年)生まれは、系列のデータが一個しかないため、ひし形で表示。赤っぽい系列がいわゆる団塊の世代とその周辺、青っぽいデータが現在20~30代の世代。

団塊世代は、やっぱり年代別人口が多い、その上に投票率まで高いので実際の投票数も当然多い。

それ以上の超高齢者世代は、投票率が高いものの、人口は当然減っていくので実数はすでに団塊世代を下回っている。さらに様々な理由により投票自体が困難になってくる事を考えると、向こう数年で傾向が逆転する可能性は低いか。

現在の20~30代、団塊Jrも含まれる世代は、絶対数が少ない上に投票率も低いので、投票実数は相当少なくなっている。しかし直近の傾向だけ見ると、投票率の上昇幅がそれ以上の世代に比べて急なので、今後も投票数の増加が見込めるかもしれない。

肝心の逆転するための投票率は、団塊世代が100%投票されたらどうしょうもないので、団塊世代は前回の選挙時と実数ベースで同じと仮定。その数 約28,452,860。2,850万票。対して、20~30代は総数で、約30,073,000。3,007万人。

逆転に必要な投票率は(2850÷3007)×100≒97.78。98%。非常に厳しい・・・

しかし、40代の就職氷河期世代までが一致団結して、団塊以上世代の逃げ切りは許さん、と同じ方向性で投票すると仮定した場合、総数は約46,810,000。4681万人。

逆転に必要な投票率は(2850÷4681)×100≒60.81。61%。急に現実味を帯びてきた。

さらに今年から参政権を得る世代、就職氷河期が再来している世代が約120万人。7月の時点で満20際になるのが、1/3の40万人とした場合、4721万人。

逆転に必要な投票率は(2850÷4721)×100≒60.36。60%。四捨五入で更に1%ハードルが低下。

前回選挙では1960~80年代の平均投票率は61.98%なので、十分に現実的な数字。1980年代は前回49.54%なので、この世代が投票率を上げれば逆転の可能性は更に高くなる。

実際の所、投票率は上げなくても若い世代の意見が反映される可能性は十分だということに。ただし数が増えても、まとまらないと烏合の衆なので、まずは選挙に行く事、その上で「雰囲気の好き嫌い」などではない確たる根拠に基づいて、何が自分たちのためになるのかを考えて投票する事が必要になる。

参考

2010-06-12

選挙に備えて

総理大臣が落選して国家議員でなくなったら

即クビにはならないが、総辞職及び再指名が必要になる。また再指名される総理は国会議員でなければならないので、落選者が再任する事は無い。

総理大臣が総選挙で落選したらどうなるのですか? - 政治 - 教えて!goo

大臣が落選して国会議員でなくなったら

大臣(国務大臣)は総理が指名し、過半数が国会議員である必要がある。逆に言うと、半数弱は民間人でも良いということになるのか。

国務大臣 - Wikipedia

2010-07-27に予定されている、次の参院選では、特命担当大臣蓮舫氏が東京区で改選を控えている。

東京都選挙区 - Wikipedia

選挙区

参院選は、個人指名の選挙区制73名、政党指名の比例代表制48名。

東京都の場合、選挙区制は東京区(定数10改選5)及び比例代表制は全国区になる。

参議院議員通常選挙 - Wikipedia

さて、東京区立候補者(前回20名)と全政党の公約調べますか。

2010-06-11

Googleの仕事は日本政府よりもよっぽど政府っぽい

  • 自分たちで直接コンテンツを作らず
  • プラットフォームを用意して
  • 参入が容易になるように敷居を下げて
  • 参加者の自助努力で成長できる様に基礎情報は全てだす

一見すると、企業活動としてはタダ乗り扱いされそうだけど、政府の活動として見れば、とても理にかなっていると思う。

Googleは「もし世界政府があるとすれば、そこで必要になるシステムは全てGoogleで作る」というポリシーで動いているそうだ。 web kikaku

嫌な言い方をすると、面白い物を創造する資金は他人に出してもらって、結果を(自分含む)みんなで共有しよう(その為の環境整備は惜しまないが)、という発想は、自分の金で活動している一企業の方が「合理的」に考えた結果、思いついてもおかしくない。

むしろ、人の金を横流しして自分の懐は痛まない政治家の方が、「どうせ自分の金ではない」からこそ、無駄遣いに走りそうだ。

あくまでイメージ的には、五十代以上のおっさんの方が、他人の金(税金、経費)で額面だけデカイ買い物をし慣れている所為で、金銭感覚がおかしいのではと思う。

資金が完全に自腹だった場合、できるだけ大きい投資効果を得ようと思ったら、当然レバレッジをいかに利かせるかを考えないといけないので、成果物に直接投資したりはしたがらないはずだ。

結局、何が流行るか未来の事など誰にも読めない以上、当るも八卦当らぬも八卦な事業に税金を使われるのはいい迷惑。政府は自身が「儲ける」事が目的ではないのだから、「どう転んでも」全体的にはプラスになるプラットフォームの整備に注力して欲しい。

そのお手本がどの国でもなく、Googleという企業だとしたら、面白いが複雑な心境だ。

参考