貨幣というものが、物々交換しにくい者どうしを交換するための中間的な代替品と捉えると、もっとも身近にあって貨幣と置き換える必要のある資源は「労働力」だろうと思う。
インフレというのは貨幣の価値が低下して、物価が相対的に高くなる貨幣的な現象だ。
貨幣の価値が低下、つまり昔に比べて価値が毀損するという事は、貨幣に置き換えられていた昔の労働の価値が毀損したとも考えられる。
緩やかなインフレは好景気の代名詞の様に言われるが、これは緩やかに過去の労働結果が毀損していくといえる。
経済の発展が技術力に依存してる時代であれば、より未来の方がより過去よりも技術力が向上し、効率が上がるので、時間が経つほど労働の価値が上がる。
1時間で100単位しか作れなかった時代の労働は、1時間に10,000単位作れるようになった時代から見れば、1/100時間分の価値しかない。
では、逆にデフレになるとはどういう事か。
デフレとは貨幣の価値が上昇して、物価が相対的に安くなる貨幣的な現象だ。
上記に習うと、貨幣の価値が上昇するとは、過去の仕事の価値が上昇していると考えられる。
逆に言えば、現在行なっている仕事が、過去の仕事よりも効率が劣っているという事になる。
機械的な生産能力が低下しているとは考えにくい。同一量を作るならより高品質、同一品質ならより大量に作れるようになったはずなのに、効率が落ちるとはどういう事か。
より高い労働力でより低い効率になっているという事は、仕事自体が無駄であるという事になる。つまりやらなくて良い仕事、需要を無視した供給を行なっていることで、労働力が空回りしている。
生産性が10倍になった所で、95%が不要品として処分されてしまえば、有効とみなされる労働力は5%に過ぎず、結局労働のもたらす効果は半分になる。
これは供給力が需要を上回って初めて起こる現象なので、成長が技術力に依存していた時代には起こらなかったであろう問題だ。
現在の生産技術が過去に対して優位に有りながら、成長が望めない。これはまさに比較優位の問題と考えられる。
一般に比較優位の説明は二国間の生産性として語られるが、インフレ/デフレという一国内の時系列の現象を考える場合、未来の自国と過去の自国について比較優位を考慮する必要がある。
つまり、未来の自国とはあらゆる面において生産性の高い「絶対優位」にあるにもかかわらず、成長性において過去にかなわない。これは過去の自国と比較して、「比較劣位」のある仕事に労働力を注力してしまっているからだ。
インフレ/デフレというのは「結果的に」起こる貨幣現象であり、原因ではない。つまり、(結果的に)デフレが起きているのであれば、その「原因」は過去の自国と比べて、「比較劣位」のある仕事をしている事にある。
有り体に言えば、努力の方向性が間違っているといえる。つまりデフレが起きているならば、「何をすべきか」を問い直し、過去よりも比較優位にある仕事に注力すれば良い。
ただし、今の日本に起きているのが貨幣現象としての「デフレ」かは疑問が残る。あくまで過去との比較優位を考えるのは、「デフレ」が起きていた場合に限る。