2011-08-30

「お金のシークレット」(デビット・クルーガー著、神田 昌典監訳)

内容のまとめ

支出には必ず「ストーリー」がある。

それは自覚的でない事が多く、ほとんどの人が「本当のストーリー」とは別に無意識に「建前の理由」を取り繕って、自分のお金の使い方に言い訳をしている。

自分に嘘をついて取り繕った理由では、いくら繰り返そうと本当に満たされる事は無い。これは典型的な買物依存症の人も もちろん含まれるが、一見してそうではない普通の人々にも当てはまる。

「お金について全く苦労せずに、幸せな人生を送れる年収はいくらか?」という問いに多くの人は「現在の」年収の2倍と回答する。しかし、いざ年収が2倍なった時に同じ質問をすると、やはり「その時点の」年収の2倍と回答する(p.31)。

このような不満足感の連鎖は、自分の本当の「お金のストーリー」に無自覚だからだ。

まず、お金を使う際には必ずストーリーがある事を自覚し、それが普段自分の口にしている「言い訳」と本当に同じかどうか知る必要がある。

自覚した上で、それが根源的な感情に支配されている事を知らなければならない。

支出は感情的な行為である。この事は絶対に忘れないでほしい。

実際、あなたが本書を読んでこの言葉以外に何も得るところがなにもなかったとしても、この根本的な事実を認めるだけで、あなたの金銭的生活は劇的に向上するはずだ。”(p.166)

根源的、かつ反射的な「感情」に支配されている、ということは、それを改めるには前もって自覚した上で周到な戦略を練らなければ到底打破できない。

この手の葛藤(節約したいのに消費もしたい)に打ち勝つのは非常に難しい。なぜなら戦う相手は自分だからだ。

左手と右手で押し合いをしても決着が着かないとのと同様に、相反する感情で押し合いをしても、器が壊れるだけだ。

これを解決する為には、自分の本当に「欲しいもの」と「必要なもの」を自覚する必要がある。

本書では前者を「欲望」と呼び、後者を「欲求」と呼んでいる。

本人は頑張っているつもりなのに、なぜか理想通りの成功を収められない人は、この欲望と欲求がすれ違っているからだ。

しかし欲求(必要なもの)が生来的、本質的な理想や体質に基づくのに比べて、欲望は短期的な感情から生まれている。

つまり、欲望の設定を欲求に沿える形に意識して変える事で、このすれ違いは解消可能だ。

個人的な補足

これはダイエットや禁煙と全く同じメンタルコントロールの話だ。

例えば「禁煙」は「吸いたいが我慢する」状態を指す。それに比べ「卒煙」は「吸いたくならない」状態を指す。

前者の禁煙は、前述の右手と左手で押し合いをするのに等しい。「吸いたい」と思う自分の感情と「吸ってはいけない」と思う自分の感情同士を戦わせなければならない。

しかし、タバコを吸ってはいけないという(健康に対する)欲求にくらべ、タバコを吸いたいという欲望は感情に基づいている。

「吸いたいから吸っているんだ」という建前ではなく、その人が本当に吸い始めたストーリーがあるだろう。

「憧れている俳優が吸っていた」「仕事のできる先輩が吸っていた」「タバコを吸うのはカッコイイ」

だから「自分も吸えばかっこ良くなれる気がする」といったストーリーだ。

この欲望を改めるには、背景となるストーリーを見直してみると良い。

憧れの俳優が、末期の肺がんで苦しみながら死んで行く様を想像した事があるだろうか。仕事のできない、そもそも仕事すら見つからないアル中やギャンブル中毒の人もタバコを吸っている様子を見た事があるだろうか。

憧れの俳優や先輩がかっこ良くなった原因はタバコだろうか?むしろその人達の格好良さの中の唯一の汚点がニコチン中毒ではなかっただろうか。

もし自分がその人達に今だ及ばないなら、むしろタバコを止める事こそが、その人達に追いつく最短のルートなのではないか。

そういった、無意識だったストーリーを自覚し、矛盾点を洗い出し、欲求と欲望の向きを同じ(平行)にすれば、無駄な押し合いをせずに済む。

お金の場合も同様であるが、結果が非常に見えにくい。減量ならば体型、禁煙ならばタバコ(やその支出)といった目に見える形で成果が得られる。

しかし、お金の場合、いくら稼いでも自分より稼ぐ人は世界にゴマンといる。そのため、どれだけ支出出来たか、どれだけ多くのコレクションを買えたか、といった目に見える結果を追い求めると泥沼にはまる。

自分がお金を使うに当たって、それはどのような感情に支配された、どのようなストーリーに基づいているか。そのストーリーはどのような結果を生み、それは本当に自分の欲求を見たし、自分の理想に近づくのか、そういった一連のストーリを自覚し、内面的な達成感を得る様にしなければならない。

感想

内容には大筋で賛成出来ます。これまでに読んだダイエット系や禁煙系の書籍と通じる所がありました。

また、これまでの書籍では同じ場所に問題点が見いだされていながら、その解決策としては規範論(こうあるべき)と論じられるだけで、具体的に実行出来る処方がなかった部分に一定の見解が示されている点で、一歩進めた気分です。

ただ、最終的な目的を明確にしない段階での「ワーク」と称した問いでは、そのワークが望む本質的な回答は得られないと思います。

これは学習の目的を明らかにしない状態での詰め込み学習に等しい。

順を追って、具体例で納得させながら展開して行きたいのは解りますが、それと各段階で読者自身の自覚を促す「ワーク」は両立しないのではないかと思います。というか却って混乱させるのでは。